🍰読書感想文:宮本美智子『世にも美しいダイエット』2020年12月17日 06:42


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2020年12月17日付のブログ「食べ過ぎるな!」の記事のコピペ。

(ブログ「食べ過ぎるな!」の内容をアサブロに引っ越し中。)



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読書感想文:宮本美智子『世にも美しいダイエット』

20201217 

 

①宮本美智子『世にも美しいダイエット』(1994)

②宮本美智子『世にも美しいダイエット カラダ革命の本』(1996)

 

上記の①②の本のうち、かつて1冊を持っていたが、捨ててしまったので図書館で借りて改めて読んでみた。 著者が早くに亡くなったことで、一部の向きから「それみたことか!」と批判を浴びたダイエットであったが、もとになっているのは、ある医師が考案し、がんや糖尿病や膠原病の患者を救った、硬派かつ特徴的な食事療法である。

 

だが、ダイエットはファッション(流行商品)である。 著者が上記のの本を世に出してから1997年に亡くなるまで、このダイエット(食事療法ではない)の賞味期限は3年あまりだったと知った。

 

①の本は、このダイエットの根拠となっている三木治療法とは別物の、半分フィクションとして読むのが妥当だろう。 決して三木治療法に信ぴょう性が無いということではない。 ①の本は、終戦の年に北海道の獣医の家に生まれて何不自由なく育ったひとりの娘が、都会と西洋文化への強い憧れと上昇志向からアメリカに遊学して、世界一の大都会ニューヨークを舞台にきらびやかな(ように描かれている)生活を謳歌したあと、今度は日本一の大都会の東京に移り住んでファッション雑誌を読むような若いOLたちが憧れるような(実際はどうかは知らないが)ファッション出版業界での作家活動をしながら、都内の(当時は知る人ぞ知るような)高級和菓子を食べまくるなど、またもやきらびやかな(ように描かれている)生活を謳歌し、健康の不調を感じ始めたころに、(東京を下に見る)上方文化圏は大阪の或る医師が行う食事療法を知り、それによってとっても健康になりました皆さんにもお勧めします、という物語である。

 

著者の育ちのせいなのか断定的で自信満々の文体や、都会や西洋への猛烈な憧れや、上へ上への強烈な上昇志向にドリブンされた虚実入り乱れたかのようなめくるめく生活の描写のせいなのかはわからないが、途中で読み疲れてきて「後半はもうどうでもいいや」と本を投げ出してしまったのが、このダイエットがブームとなっていた1995年頃の私であった。 しかし、どんな本でも最後までしっかり読まないと、著者や出版社が担保しようとして文中に忍ばせたディスクレイマーを読みこぼして、自分に都合の良いように解釈して自分に免罪符を出しまくった我流ダイエット、ではもはやない食の快楽に走って、しばらくたつと飽きてやめてしまう、ということになってしまう。 

 

パンやパスタを食べる許容量や、市販のもので適切な食品を買う困難や、小麦粉の中毒性の可能性について、本の中にちゃんと書いてあったり、ほのめかしたりしていたのだ。 それなのに、思い起こせば当時から糖質ジャンキーだった私は、本の内容を都合よく曲解して自分に免罪符を発行しまくり、おやつにまで大量生産の「高級」パンにバターを塗りたくってむさぼり喰うようになってしまった90年代の半ば頃。 さすがにある時点で「これは違うだろう」と自らを省みて、私の『世にも美しいダイエット』ブームは終わったのだ。  

 

とどのつまり、女性ファッション誌から流行したこのダイエット本は、タイトルの『世にも美しい...』からして、もともとファッション(流行商品)だったのだ。 著者がどんなに健康に真剣に取り組んでいたとしても。

 

「浪速の赤ひげ先生」と呼ばれた三木一郎先生が「M先生」とイニシャル表記で登場するのは、本当のところはそれが理由なのであろうか。 著者によるの本は、三木治療法の公式な本では決してない。 巷(ちまた)に良く出てきては消えていく、若い女性が持つヒモが緩いお財布を狙ったファッションダイエット本なのだ。

 

だから、当時の私のような愚かでミーハーな女性たちは、その内容を自分の都合の良いように捻じ曲げて解釈して、「パンやパスタは無制限に食べて良いのね」とか「青野菜だったら何でも食べていいの」とか「果物もOK!」とか「チーズはどんな種類のものでも食べて良かったんだよね」とか「水のことなんてなんか書いてあったっけ?」とか、挙句の果てにはお酒についての内容はハナっから読まなかったことに無意識にしてしまう、というような、とんでもない思い違いをして、いや実は、弱い自分に無意識に免罪符を出しまくって、結局のところダイエットにも何にもならずに、飽きて終わったのだ(が、糖質が多い大部分の食品を食べないので、最初のうちは確かに体重が減った)。

 

もちろん、糖尿病で失明寸前の人や、深刻ながんや膠原病で大病院からさじを投げられてしまった人といった、三木治療法を厳格に実行する差し迫った必要を感じた人たちには大きな効果があったようだが、これは、あくまで、三木治療法をあくまで厳格に忠実に行った場合であろう。

 

三木治療法は、厳しい糖質制限を含む食事療法で、ひとことで言えば「血糖値を上げない食事」だ。 これについては①②の本でも、「M先生」による食事療法として三木医師のアイデンティティを伏せながらも、明確に定義されている。 

 

すなわち、三木治療法は、『なんとかジャポン』みたいな日本女性の西洋への劣等感と憧れを煽るような舶来女性ファッション誌の本国版に載った内容を日本の女性誌が受け売りで掲載するような聞きかじりのファッションダイエットではなく、日本人の医師による日本土着の食事療法だ。 当然のことながら、大多数の若い日本女性は、日本人の老医師がこさえた日本の土の匂いがするものなんて見向きもしないから、日本固有の、深刻な病人にとってさえ実行するのが厳格な、超マイナーでエキセントリックともいえかねない三木治療法のままでは、ファッションコンシャスな独身の若い女性は喰いつきもしない。 それを、「NY帰り」というこの上もなくファッション的にオイシイ遍歴を持っていた著者が、欧米風にシーズニングして、西洋への憧れまみれの日本の「若い独身女性」という可処分所得が高いボリューム消費ゾーンに向けたファッションダイエット商品に見事に仕立て上げたのが『世にも美しいダイエット』であり、そのスノッブなネーミングと欧化されたコンテンツによって、当時の若い女性の間で流行したのだと思う。

 

だが、その流行は、当時の私のようなターゲット層のミーハー女性たちによって当然のことながら曲解され、おおもとの三木治療法から都合よく誤解されて広まってしまったために、1996年にの本が出されたのかもしれない。

 

①の本から2年後に出版されたの本は、とは雰囲気がかなり異なっている。 当時私はの本を読んだとき、この作者は、の本が大ヒットしたことで、ダイエット教の教祖に奉(まつ)り上げられてしまったようだ、と感じた。 自分の存在自体をコンテンツとして切り売りし続けることを要求される教祖業は、たぞかしつらい生業だろう、と思った。 しかも、この作者の場合は複雑だ。 彼女は「世にも美しいダイエット」の教祖となったが、その根幹の教義を作った真の教祖は、表には姿を見せない「M先生」だからである。 「M先生」が自ら身体を張って試行錯誤して確立した食事療法は、がんや糖尿病や膠原病を患った人が命をかけて取り組む、厳格な食事療法である。 深刻な病を患った人たちが真剣に取り組んでいる食事療法を、移り気な若い女性向けに欧風にオシャレに仕立て上げ、瞬く間にダイエットの一大流行の波の上に押し上げられた教祖は、医療とファッションという2つの全く異質のものの間で身を裂かれる立ち位置に自らを置いてしまった。   

 

②の本が出された19963月から1年余り経った1997年の夏、著者は突然倒れて病院に搬送され、しばらくの間意識不明状態になった後に亡くなったことを、覚えている。

 

当時、「彼女は倒れて病院に運ばれる直前には、夫婦でサラダ油1缶を2日で消費していたそうだ」という噂があった(本当は1日で消費していたかもしれないが、私の記憶があいまいなので、保守的に2日と書いておく。そんな噂を耳にしたのは、当時私がファッション出版業に近い業界で、地味な仕事をしていたからであろう 追記:の本にこれに関する記述があった。揚げ物油としての使用も含まれていた可能性がある)。


彼女が積極的に消費していたサラダ油は、べに花油だ: 

はやり廃りの激しい油、健康にいいのは何|ヘルスUP|NIKKEI STYLE

 

このように、昨日まで「絶対的に正しい」と推奨されていたことが、今日になって「絶対的に間違っている」と否定される世の中に、人は生きている、ということを、彼女の死は物語る。 だから私は、ある方法について「絶対的に正しい!」とか「間違っている!」という二元論的な一般論を振りかざす向きは、最も信用ならないと思って、はなから信用しない。 そのような一般論を声高に叫ぶ向きが専門家でも何でもない一般ピープルであれば、聴く耳すら持たない。 一般論は、世の中で最も変わりやすいものだからだ。 人それぞれ、「正しい」や「間違っている」と思うものは、各自の個人的な経験に基づくものだ。 医師がどんなに「正しい」と説教しても、耳に入らない人は耳に入らないし、第一、その医師の「正しい」考えは、明日は「間違っていました」になるかもしれないのだ。 ましてや、素人がどっかで聞きかじってきたり読みかじってきたことをさも自分で考えたことのように不毛に羅列した二元論的な一般論なぞは、読むにも値しないし、目や耳に入れる時間すら無駄だ。 自分が実際に汗して調べ、試し、失敗や成功を通して学んだ結果だけが、自分にとって正しい考えだし、人にとっても参考や反面教師になり得る有益な情報になる。 

 

②の本で忠告されている、『世にも美しいダイエット』に関する巷の7つの誤解を、以下に引用する:

(1)フランスパンとバターをたくさん食べるダイエットである。

(2)パスタを中心に食べる地中海式ダイエットである。

(3)バターやべに花油を摂るので、カロリー過多か危険なダイエットである。

(4)青汁を大量に飲むダイエットである。

(5)要は、菜食主義の西洋版である。

(6)カルシウム不足が心配な食事である。

(7)バターとパスタが大好きでイタリア料理には目がありませんので、このダイエットはおいしくて大好き。でも米とケーキだけはやっぱり止められません。

上記(1)(7)は、すべて誤解であり、の本を出すことによって、著者はこれらの誤解を払拭しようとした。 そうでもしなければ、恩人の三木先生に顔向けできなかっただろう。 三木先生にそっぽを向かれては、著者の立場もキャリアも一瞬で崩れ去る。

  

①②の本は、一般にはほとんど知られていない三木治療法の内容を世に紹介したという意味で、貴重な本だと思う。  著者の死は三木治療法の食事が原因ではないと、私は感じる。 このダイエット本のヒットによって、本業の文筆業に加えてダイエットの教祖としての仕事が加わって超多忙の生活になり、心身ともに大きなストレスにさらされたことによる過労が原因だったのではないか。 また、の本に自ら描いておられるが、食べるパンの量を最小限にとどめることが難しかったようである。 パンは美味しい。 戦後生まれで、特に公立小学校で学校給食を食べていた人間は、子どもの頃からパンの味を刷り込まれている(油まみれの表面にグラニュー糖をまぶした揚げパンにマーガリンを塗りたくって食べるような昼ご飯を、全員一律に学校で食べていたのだから)。 そうでなくても、戦後アメリカから大量輸入された小麦粉のダブつきを私のような庶民の子が通う公立小学校の学校給食で吸収する(庶民の子どもたちに吸収させる)だけでなく、パンや小麦粉を製造販売する企業が巨大化していった時代だったのではないか。 戦争に負けたことで、日本のコメに対して欧米の食文化の象徴に見えたパンを理想化する戦後日本社会のサイキもあったと記憶する。 繰り返すが、パンは美味しい。 グルテンの誘惑に負けずに「パンを食べても良いが最小限にとどめる」という、もっとも残酷な精神的拷問にも等しいような戒律を守れるのは、お釈迦さまやイエス・キリストやマホメッドぐらいだと思う。 宮本美智子氏のご冥福を心よりお祈りする。

  

2020年の今、改めて読んでみて、現在の糖質制限食の理論や方法のほとんどが、既に三木治療法に存在していたことを知った。 日本には、今ではほとんど忘れられてしまった特徴的で優れた食事療法があるのだと思ったし、もっと古い時代の素晴らしい食事療法がたくさんあったに違いないと思う。 

 

三木治療法は、基本的には糖質制限食であるが、現在の各種の糖質制限食時法よりも、より極端で厳しい方法だと思う。 植物由来の糖質の摂取を制限し、代替エネルギーとして油脂を多く摂る点は、ケトン食にも通じるところがあるが、乳製品の扱いに違いが見られる。 野菜を主に食べて、油脂でエネルギーを摂る食事だが、食べて良い野菜が限られる。 糖質の塊である穀類と果物や、糖質が比較的多い根菜類は勿論のこと、かなりの種類の他の野菜も禁止され、食卓の定番の特定の葉野菜や、豆類もNG食品となる。 あらゆる種類のアルコール飲料(飲酒)も禁止である。 水と塩の摂取に特徴がある。 運動の指導も含まれる。 当然ながら時代遅れになった内容も含まれるが、個人的には、今読んでも参考になったり考えさせられたりする食事法だと思った。 

 

三木治療法は、「少量のパンとパスタを食べて良いダイエット」では決してない。 炭水化物は何も摂らないに越したことはないが、それでは厳しすぎるので、100歩譲って、強力粉製品(パンとパスタ)はほんの少量であれば許しますよ、ということである。 ①②の本で、三木一郎先生は、そのように語っている。

 

ネットの情報によると、三木一郎先生は2007年に97歳で亡くなったそうである。

三木治療法によって失明寸前の糖尿病から回復した某著名人も、すでにこの世を去っており、この治療法を受け継いだといわれる都内の某診療所が、現在もこの治療法を施しているかは、定かではない。

 

三木治療法によってがんや糖尿病や膠原病が治った人が実際にいる一方で、治らなかった人もいるだろう。 深刻な病気を患い、治療のために日々試行錯誤している人ほど、全ての人に等しく効果があるワン・サイズ・フィッツ・オールの治療法なんてこの世には存在しないことを、知っているに違いない。 それに、先日も書いたが、人間は弱い。 そして、弱い人間の頭は、賢い。 どんな食事療法も、その内容を正確に理解して厳密に実行して効果が得られる人もいるかもしれないし、厳密に実行しても、その方法が合わなくて効果が得られない人もいるかもしれないし、自分に都合の良いように解釈したことで効果が得られない人もいるかもしれないし、都合の良いように解釈しても意外に効果があった人もいるかもしれない。 世の中が「白/黒」や「正しい/間違っている」で完璧に説明できるのは、机の上と頭の中だけだ。 そして、ワン・サイズ・フィッツ・オールのソリューションは、この世には存在しないか、あるいは、ピンとキリの両端を切り取った最大公約数になるため、リスクが少ない代償として内容も二流になる可能性は否めないだろう。 自分に最適な食事法は、オンリーワンであると痛感しながら、引き続き自分にとってのオプティマムな食を試行錯誤し求道していく:

 

食べすぎるな!

二口女(ふたくちおんな)



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