🎍正月飾りを飾るタイミング ― 2024年01月01日 19:39
先日の記事の内容をこちらにコピペします
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「まだクリスマスも終わっていないのに、
正月のお飾りを飾るの、おかしくない?」
と旦那さんに言われたのですが、
もともと日本では、
12月15日前後から、お正月モードに入ったので、
べつにおかしくもなんともありません。
赤穂義士伝の「大高源吾(おおたか げんご)」の巻に、こんなくだりがあります。
年の瀬の12月13日に、雪の両国橋の上を、
笹竹を担いで売り歩く、みすぼらしい姿の大高源吾は、
旧知の俳諧仲間の、宝井其角(たからい きかく)とバッタリ出会い、
俳句のやりとりをします。
大高源吾の俳句は、
「今日までは笹竹を売り歩いているが、明日からは宝船(を売るの)だ」
という内容でした。
同じ俳諧仲間の某殿様の屋敷へ行く途中だった宝井其角は、
屋敷に赴いてから、殿様に、大高源吾の句を見せると、
さすがはお殿様、
「明日が討ち入りになるやもしれんぞ!」と其角に。
「そうだったのか!大高さんは、それをほのめかして、
この句を私に!こうしてはいられない!
大高さんと今生の別れになるかもしれないから、
せめて、一目お別れを言いたい!」
と、宝井其角は、
吉良邸の隣のお屋敷に泊めてもらおうと急ぐのだが、
はたして、其角は、大高源吾と会えるのだろうか!?
(👆野暮なネタバレを避けるために、2024年1月28日に結末を
削除しましたっていうこのコメント自体が野暮! 話芸にネタバレは
野暮の極みっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
はい私は野暮テンです(・∀・)/!)
という話ですが、
大高源吾は笹竹売りに身をやつして、
吉良邸の在る両国かいわいを偵察していたのですが、
12月13日までは笹竹が売られ、
12月14日以降は、お正月の宝船のお飾りが売られるようになる
という、当時の慣習が描かれています。
つまり、
12月の13日までには、
大掃除で高いところの埃をはらうために使う笹竹に需要があるが、
たいがいの家や商家では、13日までに大掃除を済ませてしまうから、
12月14日からは、掃除を済ませた家の中に飾る宝船のお飾りが売れるようになったのです。
だから、
12月半ばを過ぎれば、正月飾りを飾っても、
何もおかしくはありません。
ということを、旦那さんに説明しました。
玄関先を掃除した後、
玄関のドアの外に正月飾りをぶら下げたら、
気もちがさっぱりしました。
12月中は、神田伯山をはじめ、
講談師たちは赤穂義士伝の様々な話を語ります。
なかでも「大高源吾」は定番の演目です。
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「まだクリスマスも終わっていないのに、
正月のお飾りを飾るの、おかしくない?」
と旦那さんに言われたのですが、
もともと日本では、
12月15日前後から、お正月モードに入ったので、
べつにおかしくもなんともありません。
赤穂義士伝の「大高源吾(おおたか げんご)」の巻に、こんなくだりがあります。
年の瀬の12月13日に、雪の両国橋の上を、
笹竹を担いで売り歩く、みすぼらしい姿の大高源吾は、
旧知の俳諧仲間の、宝井其角(たからい きかく)とバッタリ出会い、
俳句のやりとりをします。
大高源吾の俳句は、
「今日までは笹竹を売り歩いているが、明日からは宝船(を売るの)だ」
という内容でした。
同じ俳諧仲間の某殿様の屋敷へ行く途中だった宝井其角は、
屋敷に赴いてから、殿様に、大高源吾の句を見せると、
さすがはお殿様、
「明日が討ち入りになるやもしれんぞ!」と其角に。
「そうだったのか!大高さんは、それをほのめかして、
この句を私に!こうしてはいられない!
大高さんと今生の別れになるかもしれないから、
せめて、一目お別れを言いたい!」
と、宝井其角は、
吉良邸の隣のお屋敷に泊めてもらおうと急ぐのだが、
はたして、其角は、大高源吾と会えるのだろうか!?
(👆野暮なネタバレを避けるために、2024年1月28日に結末を
削除しましたっていうこのコメント自体が野暮! 話芸にネタバレは
野暮の極みっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
はい私は野暮テンです(・∀・)/!)
という話ですが、
大高源吾は笹竹売りに身をやつして、
吉良邸の在る両国かいわいを偵察していたのですが、
12月13日までは笹竹が売られ、
12月14日以降は、お正月の宝船のお飾りが売られるようになる
という、当時の慣習が描かれています。
つまり、
12月の13日までには、
大掃除で高いところの埃をはらうために使う笹竹に需要があるが、
たいがいの家や商家では、13日までに大掃除を済ませてしまうから、
12月14日からは、掃除を済ませた家の中に飾る宝船のお飾りが売れるようになったのです。
だから、
12月半ばを過ぎれば、正月飾りを飾っても、
何もおかしくはありません。
ということを、旦那さんに説明しました。
玄関先を掃除した後、
玄関のドアの外に正月飾りをぶら下げたら、
気もちがさっぱりしました。
12月中は、神田伯山をはじめ、
講談師たちは赤穂義士伝の様々な話を語ります。
なかでも「大高源吾」は定番の演目です。
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🗻未来に残したいことば:おなかがくちくなる ― 2023年11月28日 06:42
以前、別のブログに極私的に書いていた、
「未来に残したい」シリーズを、
このブログに移し替え中です:
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20181129
🗻未来に残したいことば: おなかがくちくなる
中村吉右衛門版「鬼平犯科帳」の、ある回で、
長谷川平蔵(吉右衛門)のセリフにでてきた。
(柴犬にお煎餅を食べさせるシーン)
6代目三遊亭圓生の「お神酒徳利」でも、でてきた。
吉右衛門も、圓生も、「くちくなる」と、「ちくな」を高めに言っていた。
お舅(しゅうと)さんは、「くちくなった」と、「ち」だけにアクセントをつけて言っていた。
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🗻未来に残したいことば: 営団地下鉄 など。 ― 2023年11月24日 11:49
以前、別のブログに極私的に書いていた、
「未来に残したい」シリーズを、
このブログに移し替え中です:
===========
20181126
🗻未来に残したいことば: 営団地下鉄、国電、湘南電車 など
メトロとかジェイアールとか「なんとかかんとかライン」なんかよりも
風雅な感じが今となってはします:
営団地下鉄、国電、湘南電車。
営団といえば、あの地下鉄の匂いだ。
車両のブレーキパッドの素材か何かによって、
地下鉄の駅は、なま暖かい独特の匂いがモワ~っと立ち込めていた。
その後、新しい車両への切り替わりとともに、
地下鉄の駅の匂いは、なくなっていった。
あの匂いを私が最後にかいだのは、
10年以上前、丸ノ内線の御茶ノ水駅の真上の、
地上の歩道にはまっている、地下鉄の駅からの排気口のスノコからだったなぁ。
あの匂いをかぐと、一瞬だけど、子どもの頃の自分に戻れたなぁ。
そういえば、いまだに本の断捨離を生き残っている『シゴダス』に「E電」っていうのが載っていた。同じく「省電」っていうのも載ってたよ。
==========
↑ 東海道線に上野東京ラインが加わったころ、
柳家喬太郎が、ある高座で
「上野東京ラインに乗ると、わけわかんないところに連れていかれる」
とボヤいて、
私は大うけしたのだが、
ほんとうにそのとおり!
昔の湘南電車や横須賀線に慣れている人は、
東海道線や横須賀線の〇〇●●ラインに
うっかり乗ってしまうと、とんでもないところに連れていかれる。
(私も、湘南新宿ラインに乗って、たいへんな目にあったことがある)
JRによる、横須賀線へのヒドい仕打ちによって、横須賀線は、かなり昔に、横須賀線でなくなってしまった。
東京駅が終点/始発駅だったことが、神奈川県の中長距離通勤者たちの救いだったのに...。
千葉方面に繋げたら、東京駅で座れなくなるじゃない!
しかも、ボックス席車両だったのに、
山手線みたいな横ベンチ席車両になったことで、
座れる人数が減ったんだよ!
JRはさらに、
品川-横浜間の横須賀線のルートを曲げ始めた!
湘南電車とルートがダブるから、という理由はわかるけど、
東京-品川間を、東京湾側から
東海道新幹線、横須賀線(地上線路時代)、湘南電車、京浜東北線、山手線の線路が並走し、
品川で新幹線と山手線が内陸に逸れていく、
その穴を埋めるのが、
東京湾は京浜工業地帯の番長!もとい、雄!京浜急行だ。
そして、
品川-横浜間を、
京急、京浜東北、横須賀線、東海道線が横並びで走る様が、
日本の大動脈、東海道!って感じで、私はとても好きだった。
さらに、東神奈川あたりから、東横線も加わって、
鉄ちゃんじゃなくても、横浜駅に到着する直前の付近は、壮観な鉄道風景だった。
東横線も地下に潜ってしまって、
今の横浜駅周辺は、どうなっているんだろう?
「未来に残したい」シリーズを、
このブログに移し替え中です:
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20181126
🗻未来に残したいことば: 営団地下鉄、国電、湘南電車 など
メトロとかジェイアールとか「なんとかかんとかライン」なんかよりも
風雅な感じが今となってはします:
営団地下鉄、国電、湘南電車。
営団といえば、あの地下鉄の匂いだ。
車両のブレーキパッドの素材か何かによって、
地下鉄の駅は、なま暖かい独特の匂いがモワ~っと立ち込めていた。
その後、新しい車両への切り替わりとともに、
地下鉄の駅の匂いは、なくなっていった。
あの匂いを私が最後にかいだのは、
10年以上前、丸ノ内線の御茶ノ水駅の真上の、
地上の歩道にはまっている、地下鉄の駅からの排気口のスノコからだったなぁ。
あの匂いをかぐと、一瞬だけど、子どもの頃の自分に戻れたなぁ。
そういえば、いまだに本の断捨離を生き残っている『シゴダス』に「E電」っていうのが載っていた。同じく「省電」っていうのも載ってたよ。
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↑ 東海道線に上野東京ラインが加わったころ、
柳家喬太郎が、ある高座で
「上野東京ラインに乗ると、わけわかんないところに連れていかれる」
とボヤいて、
私は大うけしたのだが、
ほんとうにそのとおり!
昔の湘南電車や横須賀線に慣れている人は、
東海道線や横須賀線の〇〇●●ラインに
うっかり乗ってしまうと、とんでもないところに連れていかれる。
(私も、湘南新宿ラインに乗って、たいへんな目にあったことがある)
JRによる、横須賀線へのヒドい仕打ちによって、横須賀線は、かなり昔に、横須賀線でなくなってしまった。
東京駅が終点/始発駅だったことが、神奈川県の中長距離通勤者たちの救いだったのに...。
千葉方面に繋げたら、東京駅で座れなくなるじゃない!
しかも、ボックス席車両だったのに、
山手線みたいな横ベンチ席車両になったことで、
座れる人数が減ったんだよ!
JRはさらに、
品川-横浜間の横須賀線のルートを曲げ始めた!
湘南電車とルートがダブるから、という理由はわかるけど、
東京-品川間を、東京湾側から
東海道新幹線、横須賀線(地上線路時代)、湘南電車、京浜東北線、山手線の線路が並走し、
品川で新幹線と山手線が内陸に逸れていく、
その穴を埋めるのが、
東京湾は京浜工業地帯の番長!もとい、雄!京浜急行だ。
そして、
品川-横浜間を、
京急、京浜東北、横須賀線、東海道線が横並びで走る様が、
日本の大動脈、東海道!って感じで、私はとても好きだった。
さらに、東神奈川あたりから、東横線も加わって、
鉄ちゃんじゃなくても、横浜駅に到着する直前の付近は、壮観な鉄道風景だった。
東横線も地下に潜ってしまって、
今の横浜駅周辺は、どうなっているんだろう?
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