◆"下北半島の怪物"「三遊亭青森は、いつかクる!」、と思っていた。2023年11月21日 10:49

「想ひ出日記」カテゴリにあげた、この記事の直前の過去の落語会鑑賞まとめ記事にも当時書いていたが、 

三遊亭青森の高座を初めて聴いた時はショック過ぎた! そして、

「白鳥師匠門下(ならでは?)の、この得体の知れない存在は、いつか必ずクるだろう!」と、背筋が震撼したおぼえがあります。

はたして今年、渋谷らくごでトリをつとめたらしい"下北半島の怪物"だが、この、的を得過ぎた"下北半島の怪物"というキャッチフレーズを作った人は上手すぎるよ!

三遊亭青森さんの今後の益々の活躍を願っています。

◆昔観た落語会の感想文まとめ2019年02月28日 10:20

梅の季節の夜の湯島天神
        ☆想ひ出写真☆


コロナ前まで、たまに行っていた落語会の感想文を、
他所の古ブログから引っ越しました:


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20190228
春風亭百栄 20190227 ぎやまん寄席@湯島天神

春風亭百栄の落語会を湯島天神に聴きに行った。 絨毯はふかふかだし、椅子は座りやすいし、洗面所もステキだし、天井の梅いっぱいの照明も神々しいし、吉祥いっぱいのロケーションで百栄ワールドを堪能できた。

4作とも、苦笑失笑&涙笑いで濃い~ひと時を堪能。 笑いとともに、心の底にたまった日常のイヤな澱(おり)が浄化されてゆく。 個人的には、ホームランバッターと少年のやりとりがジワジワくる噺を生で聴けてよかった。 

2月の末ということで、湯島天神の夜桜ならぬ、夜梅も満喫できたし、たわわに奉納された「合格祈願」や「合格報告」の絵馬に書かれたメッセージから、希望とハピネスをもらいました。 お参りもして慶(よろこ)ばしいパワーも注入。

早春の湯島天神で珠玉の落語を聴けるという、祝祭感いっぱいのギヤマン寄席の席亭さんに感謝。


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20190218 
春風亭百栄 鈴本演芸場 2019年2月中席(夜の部)

2月17日(日)の鈴本演芸場中席(夜の部)に行った。

トリの春風亭百栄に向けて、新作・古典が代わる代わる続き、ベテラン色物陣の確かな仕事が小気味よくつないで、とても楽しめた。

馬るこ の古典をベースにした改作の大笑いでキックスタート。
青森のシュールすぎる新作のあまりのばかばかしさ。
続いた燕路の古典の劣らぬばかばかしさ。
白鳥イズムのトホホ爆笑な世界観のあとは、中トリの藤兵衛による、くだらなさいっぱいの古典(になるのかな?)。
仲入り後の文菊が緩急を効かせた、よく考えればやっぱりばかばかしい古典でつないで、
トリの百栄の新作で客席から常時、苦笑失笑なかば悲鳴のような笑い声と最後のクライマックスで大爆笑。

新作に挟まれると、おなじみの古典作品も、「これがはじめて発表された当時は、お客さんは、くだらねぇ~な~!って思ったに違いない」、と、古典落語がフレッシュに輝いて聞こえてくるから嬉しくて不思議だ。

テレビドラマの古典といえば時代劇だが、昭和~平成にかけてお茶の間をドキドキハラハラさせてくれた2時間サスペンスドラマも、すでに様式美の完成をみて久しく、日本が誇るべき古典フォーマットとして確立したことを感じずにはいられなかった。 
BSなどで再放送が続く限り、百栄の珠玉の名作は、サスペンスの帝王・女王とともに、輝き続けるだろう。

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春風亭百栄の勉強会 (20181110)

春風亭百栄の勉強会を観に行きました。

唯一無二の世界が炸裂。 
古典でも新作臭、いや百栄臭が漂ってくる。
ドリアンとか、臭いチーズとか、漬け物とか、それを嗅いでしまったら、やめられなくなってしまった。。。。。。ていう感じの(?)お客さんたちが、毎回押しかけてくるような、勉強会と感じました。

土曜日の夜で、私らも含めて都合がつきやすい人が多かったこともあってか、お客さんがすし詰めでした。 新しい畳の匂いも芳しかった。

新作を毎月作り続けて発表してきたとは、凄い。
プロは、創作のペースがぜんぜん違うね。
どんな分野でも、創作活動の打率(成功率)は、たぶん1割ぐらいなんじゃないか(=10コ作って、ヒット作が1コできたら御の字)、と思いますが、春風亭百栄の場合は、かなり打率が高そうだと勘ぐりました。

それに、作り続けることが肝心なんだろうね。
そうやって、脳みその稼働率を、常に、クリエイティブモードに、アイドリング以上のレベルに維持しているんだろうね。 
来年からは、毎月発表してきた作品について、その完成度を上げていくとのことで、百栄ファンは、その模様をつぶさに目撃していくことになるんだね。
「よくこんなこと考えつくなぁ」な、意外性あり過ぎのストーリーと、作り込みのツメの辛さが、よりハイパーな次元にブラシュアップされた、異次元と「紙一重」の名作鬼作へと、異形の鋭さで研ぎ澄まされていくことだろう。

春風亭百栄を「妖精」と形容するのは、的を得ている。
(それでいながら、何となく安心感があって、バランスがとれているのは、社会人経験が長いために、客席(一般人が大多数)の心理を知っているからだろう。)

新作落語を作る噺家は、作家・小説家だね。 
それは、本人にとって、幸せなことなのか、不幸なことなのか。 
柳家小ゑんの、ジャズの名盤をパロった、自分の落語のCDジャケット(モンクのもそうだが、とりわけ、ソニー・クラークのハードバップの名盤のパロディ)とか見ると、失礼ながら、「かわいそう」に思えてくる。
センスが良すぎる、つまり、知性というか感性というかが、一般社会から突出し過ぎていて、この社会で生きづらくないのだろうか? と思えてくるからだ。

以前、何かのサイトで、「IQ145ぐらいの記者が、IQ160のイギリス人コメディアンにインタビューしたとき、そのコメディアンの奥さんから、『(あなたもIQが異常に高いんですって?)同情します』と、憐れまれてしまった」と書いてあったのを、思い出した。
その「「IQ160のコメディアンは、一般社会の仕事に馴染めなかったので、コメディアンになった」 と書いてあったと思う。

IQなのかはわからないが、新作落語家たちは、やっぱり「何か」が高い人たちなんだろうなぁ、と思う。
「何か」は知能とは限らないけど、クリエイティビティに関係する「何か」が高い人たちであることは確かだ。
(じゃなきゃ「フィッ!」なんて思いつかないよ。 三遊亭圓生の、本人以外の功績は、円丈という存在ではないのか。)

先の人間国宝の孫が、洋服を着て椅子に座って新作落語を演る試みをしていることも、思い出す。
タブーともいえることにチャレンジする人が異端に追いやられないどころか、保守本流の真ん中で、そういうチャレンジが行われていることは、落語が「息をしている伝統芸能」であること、話芸の本流であることを示していると思う。

【追記】 上記について、新作落語を創作する、落語作家たちも同様にクリエイティビティが非常に高い。 喬太郎の「孫、帰る」の作者、山崎雛子氏や、柳家花緑に新作を提供している作家陣などに、脚光が当たるようになり、正当に評価される商慣習が確立してきたことは、喜ばしいことだ。 いみじくもプロの演者が、誰かの書いたものを利用しようとする(つまり、利用して、直接的・間接的な収益源にしようとする)場合は、その作者がいかなる人であっても、その作者の人格・著作権・名誉を尊重し、何らかの対価を払うかたちで、使用するべきである。



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ぎやまん寄席 春風亭百栄ひとり会 (20181011)

春風亭百栄ひとり会(ぎやまん寄席)を観に行きました。

講釈の噺はニートにまとまっていて、やっぱり面白い(あらゆるものに、講談エレメントがあるんだねっ。笑った)。

「マザコン調べ」を生で聴けたが、想像を絶する翻案力に改めて絶句。

古典の「寝床」は、人間であれば一度や二度は「被害」に遭ったことがある、一般的に共感できる主題(「義理の搾取による強制的な集客」)だけに、誰が演っても鉄板ネタだと思うが、百栄スパイスが効いている。 猫が出てくると、やっぱり笑える。 それに、ドーブツが羨ましくなる時ってあるよね(笑)。

桃太郎の後日談や「最後のジュゲム」などの他の作品も、クリエイティビテイ、プラス、作り込みのツメのカラさが、異常レベルだ。 将来古典になっていくに違いない作品が多い。

また、ぎやまん寄席は、会場が素晴らしい。 
ふくいくとした梅のオーラに満ちた、吉祥の気に祝福された会場で、落語を聴ける至福の時間でした。 
(他会場でも言っているのかもしれないが、前座くんのたとえ「カーネギーホール」は、この会場に関して、まさに言い得て妙。)


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春風亭百栄の勉強会 (20180923)

春風亭百栄の勉強会を観に行きました。

新作の世界観が唯一無二。 知っているネタでも新鮮に面白い。 非凡なクリエイティビティ。

松之丞人気で復活の兆しを見せる講談だが、「伝統話芸のなかで、講談って、何?」の真髄を鋭くえぐる、その視点。 煎じ詰めれば、そうだよ、そうだよね(笑)。。。 (意味じゃないんだよね、そしてバッキンガム。。って有ったんだね。。)

真実を鋭く突く、ともすれば、的を得すぎて辛辣になりかねない視点が、風貌などのユルさによって、オブラートに包まれている、絶妙なバランス。 

渋谷・世田谷、奥の院の中野・杉並といった地域や、現代的な芸能ジャンルへの親和力。 そして、落語を聞いたことがない人を、落語の保守本流まで誘引する訴求力。 古典と新作の両方ができるからこそだ(「守・破・離」のプロセスをちゃんと経た人じゃないと、無理だろう)。
鼻濁音がちゃんとしているので、聞きやすい。 古典専門の人で、鼻濁音が出来ている人の、いかに少ないことか(圓生は、登場人物によって、鼻濁音を使い分けていた)。 上方言葉も操れるところが圓生的だ。

百栄と百栄ファンの双方にとって有益で、層の分厚い落語の地平線を押し広げる。 三方好しの会でした。


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鈴本演芸場お盆休み特別興行 (20180813)

鈴本演芸場のお盆休み特別興行に、数年ぶりに行きました(さん喬・権太郎のツートップ)。

オールスターのラインナップでした。

7月のチケット予約開始時間に、1~2秒遅れてアクセスしたら、もうアクセスできなくて、数分後につながったときには、いちばん前の数列はほとんど埋まってしまっていました○| ̄|_。。。 来年予約する時は、初動をミスらないようにしたいものです。今年もだと思いますが、全日程、前売り券は売り切れ。私たちが行った日は、立ち見が出ました。


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鈴本演芸場昼席 (20170821)

鈴本演芸場の昼席に行きました。トリは柳家喬太郎でした。

11:30am前に着きましたが、すでに50人ぐらい?列ができていました。
炎天下で暑い!早めに入場させてもらえました。
二人でけっこう良い席に座れました。立ち見のお客さんもいたみたいです。
夏休みもはじまって、遠方から来て東京で寄席めぐりをしている人もけっこういる感じでした。
寄席が終わって外に出たら、夜席(主任:古今亭菊之丞)の列もできていました。


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鈴本8月中席(夜) さん喬・権太楼 特選集 (20140815)

8月15日(金)は、鈴本演芸場 中席 夜の部
「納涼名選会 鈴本夏まつり 吉例夏夜噺 さん喬・権太楼 特選集」
を聞きにいきました。

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◆以前観た中村吉右衛門さん歌舞伎@国立劇場の感想文まとめ2018年12月24日 11:21

国立劇場正面入り口から皇居方面(と最高裁)を臨む
        ☆想ひ出写真☆


以前、中村吉右衛門さんの歌舞伎を年に1回、国立劇場に観に行っていたときの、感想文のまとめ。

吉右衛門さんの歌舞伎を、国立劇場の最前列の真ん中あたりの席で観るのが、年に1度の楽しみでした。
 
年に1度の観劇なので、大フンパツして最前列のど真ん中あたりの席を買って、観に行っていました。  

中村吉右衛門さんの「鬼平」を凌ぐ「鬼平」は、今後40年ぐらいは出てこないんだろうな、と感じます。 中村吉右衛門さんのご冥福をお祈りいたします。


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20181224
歌舞伎:通し狂言「増補双級巴―石川五右衛門―」

歌舞伎、通し狂言「増補双級巴―石川五右衛門―」を、国立劇場で観た。

中村吉右衛門はじめ、おなじみの役者陣の名演技、そして曲芸。 
竹本、音曲、舞台背景、道具類、衣装、かつら、拍子木の音。 
空中の見せ場。 
年末のフェスティブな気持ちが高揚した。

縄をかけられて両手が使えなくなった五右衛門親子が、オオカミの親子のように見えた。


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20181121
12月の歌舞伎(@国立劇場):通し狂言「増補双級巴―石川五右衛門―」

12月の国立劇場の歌舞伎は、中村吉右衛門一座の:
通し狂言「増補双級巴―石川五右衛門―」だ。

私は、年に1回だが、いい席で、中村吉右衛門が主演の歌舞伎を、国立劇場に見に行く。

理由は:

 ① 鬼平犯科帳(&鬼平スペシャル)に出演している歌舞伎役者さんたちの本業を見ることができるから。

 ② ①以外の、ほかの役者さんたちが、これまた素晴らしいから(←鬼平を入り口に、歌舞伎を楽しめるようになった)

 ③ 音曲・義太夫・舞台・大道具小道具・衣装など。音楽も舞台もとても美しいから(とくに、華やかな舞台を見ると、視覚的に明るいインパクトをもらえて、気持ちが明るくなる気がする)。

 ④ 国立劇場は、チケット料金が割安だから(←国の文化事業だからだと思う。自分が払った税金の恩恵をエンジョイしたいから。)

 ⑤ 役者さんの演技や声、義太夫、衣装などを間近(まぢか)で見&聴きたいので、なるべくいい席で見る。

 ⑥ 解説のイヤホンなしでぜんぜんOKだから(←時代劇・落語・狂言などを見聞きしていると、ほとんど問題なし。)

 パンフレットや特設サイトなどで、あらすじをインプットしておくと、解説のイヤホンがなくてもOKだ(← イヤホンすると、逆に、役者さんの声・竹本の語り&三味線・音曲などが聞けなくなって、もったいないと思う)。

 演目によっては、落語などがもっとよくわかるようになる。

 お客さんたちは、着物を着た人(あんまりいない)から、ちょっとオシャレした人、ふつーの恰好の人。 アウトドアジャケットにGパンにスニーカー&リュック姿なのは西洋人の旅行客が目につく。たぶん3階席だろう。

休憩込みで4時間半以上の長丁場の間、座っても疲れないように、ふつーの恰好にちょっとケが生えたくらいの恰好で行く。 

年齢層が高いお客さんが多いが、若い人もけっこう来ている(若い役者さんたちが目当てか? 若い役者さんたちにも、将来が楽しみな、上手い人がいる)。

後援会にはとても入れないけど、年に一度、心から楽しみたい。

特設サイト:
国立劇場12月歌舞伎公演『増補双級巴 ―石川五右衛門―』特設サイト
中村吉右衛門からのメッセージ:
国立劇場歌舞伎情報サイト | 独立行政法人 日本芸術文化振興会


歌舞伎。 古典をがっちり継承する一方で、「ワンピース」や「ナルト」といった、漫画やアニメを題材に、音楽にJ-POPのヒットメーカーを起用した作品を打ち出して、成果をあげている。 フィギュアスケートとコラボもする。 歌舞伎は、時代といっしょに、創りつづけている。 時代は動いている。 時代の中で、継承と創造の両輪で走りつづけるものだけが、次の時代において、「死に体(しにたい)」ではない、ちゃんと「息をしている」伝統文化になっていく。



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20161208
鬼平犯科帳 THE FINAL 雲竜剣

鬼平犯科帳のフィナーレが「雲竜剣」だったことに感じ入ります。

人は良いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら良いことをする。無数の人間が形作るこの世は、白黒はっきりさせることはできない、そしてそれが人間の愛らしく愚かで美しいところだということが、鬼平犯科帳というか池波正太郎のテーマなんだなぁと思った。

そのテーマにふさわしかった「雲竜剣」を見ているうちに泣けてきました。

そして、長谷川平蔵が上司京極備前守に市中警備の人員の援助を頼むところと、伊三次が与力小林金弥に人手を頼むところが、今の時代に合った感じで良かったと思いました。 物理的に人手が足りなけば、部下が上司に増員のお願いをする場面は、時代の価値観の変化を反映した脚本になっているからだと思いました。


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20161204
鬼平犯科帳 THE FINAL を観た

鬼平犯科帳 THE FINAL 前編・後編が放送されました。

中村吉右衛門やレギュラー陣の俳優たちをはじめ、
実績のある客演の俳優たちが出演して、
すばらしいフィナーレでした!

現代日本の名曲を作ってきた、さだまさしの出演も嬉しかった!



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20161111
「仮名手本忠臣蔵」第二部を観に行った

国立劇場の11月歌舞伎公演「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」第二部を観に行きました。

とっても面白くて、あっという間の4時間でした。

落語の「七段目」の元になった一力茶屋の場面を見ることができて嬉しかった!



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20151111
歌舞伎公演『神霊矢口渡』@国立劇場

歌舞伎公演『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』を観ました。

役者たち・竹本の太夫・三味線奏者たちの、鬼気迫る演技・声・語り・演奏。

時は南北朝時代。現在の横浜市戸塚区(横須賀線東戸塚駅近くの焼餅坂)~鶴見区(生麦)~多摩川(矢口の渡し)を舞台に繰り広げられるストーリー。

この間の「タモリ倶楽部」(東急の検査車に乗る回)で大田区新田神社の話をタモリがしていた。



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20141221
歌舞伎「伊賀越道中双六」

先日、国立劇場で「伊賀越道中双六」を観ました。

中村吉右衛門さんを始め役者の方々のお声や、お囃子の唄と音曲から、素晴らしい「気」をもらいました。

舞台も凛として美しく、観に行って良かったと心から思いました。


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