🏠いろいろ引き取ってもらってスッキリした。2023年07月29日 00:52


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いろいろ引き取ってもらってスッキリした

20230729

 

今月は、何回か不用品を引取り業者に引き取ってもらって、心底スッキリした。自分の住み家は、自分の心の鏡だということを痛感した。モノを減らす行為は、精神の修養なのだと思った。 

 

せっかくおカネを出して買ったモノを捨てられないのが人情だ。とくに、昭和に生まれ育った私のような人々は、戦時中のモノの枯渇による苦労を親や祖父母から聞かされ、「もったいない」が骨の髄まで浸透しているから、まだ使えるモノを捨てる行為に強い罪悪感を感じて、モノを捨てた自分の魂を責めてしまう。 

 

だが、考えてみれば、戦後から平成を経て令和に至るまで、親も私も、世の中の仕掛け人たちに煽られてモノを買い続けてきたのではなかろうか。祖父母の家の中のモノの無さに比べて、親の家には不要なモノのいかに多いことか。そして私の家はモノ地獄だ。モノ、モノ、モノ、しかも、今となっては使うことのないモノであふれかえっている。これは、私ら夫婦が日本や世界の経済発展に貢献した証だ。経済では、天下の通用であるおカネを回さなければ続かない。だから、耳障りの良い宣伝文句に踊らされてモノをホイホイを買ってくれる消費者が必要なのだ。

 

そして、今やモノを捨てる行為は、経済に貢献する。「私はもうじゅうぶんに日本や世界の経済発展に貢献したのだから」と思ってモノを捨てれば、こんどはリサイクルや中古品売買や不用品輸出などの静脈産業を潤す。モノを捨てることは、モノを買うことと同じくらい、世の経済のためになっているのだから、モノを捨てる行為に罪悪感を感じる必要は、もはや無い。

 

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ここで、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。

 

モノについて

 モ① もらったモノは、基本的に捨てる。

 モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。

   例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、

       死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、

       保有し続ける。 

  モ③ つまらないモノには、近づかない。

 

ストレスについて

  ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。

  ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。

  ス③ つまらない情報には、近づかない。

  

このブログの目的は、還暦を目前に、

家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ

「シニアの実()の成るライフ」を追求することである。

 

アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、

「シニアの実()の成るライフ」を目指していく。

家の中も、脳の中も、

 

溜めすぎるな! 

笑い女(顔)

 

笑い女 - Wikipedia

 




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