🍰昔の野菜と今の野菜2021年01月12日 15:27


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2021年01月12日にブログ「食べ過ぎるな!」に書いた記事のコピペ。


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昔の野菜と今の野菜 

20210112


今の野菜は、子どもの頃(昭和の高度成長期)の野菜から、姿かたちがずいぶん変わったものがけっこうあるのではないかと思う。

 

子どもの頃食べたほうれん草は、背が低くて、根元の部分がもっとピンク色をしていた。 今スーパーで買うほうれん草は、茎が長くて葉っぱが大きくて立派だ。 窒素肥料を多く入れているのだろうか? よくわからない。 小松菜も大きくなったような気がする。

 

果物は、ずいぶんと甘くなったような気がする。 子どもの頃、冬にミカンを食べるときに、甘いミカンが少なくて、選ぶのに苦労した思い出がある。 子どもの頃から甘いものが大好きだったので、酸っぱいミカンを避けていたのだ。 今では、酸っぱいミカンを探す方が難しい。 

 

長野オリンピックの時に、長野から中継していたBBCのレポーターが、信州りんごを片手に持って「日本人はなんでも小さくしたが、リンゴだけは大きくした」とレポートするのを聞いてウケた。 

アメリカでウォークマンが大ヒットしたのは、それまではリビングルームのラジオから聴いていたヒット曲を、カセットテープに録音して音楽をどこへでも持ち歩けるようにしたことが、当時の若者のニーズに合致したからだ、という話をどこかで聞いた。 

たしかに、日本のリンゴはイギリスのリンゴよりも大きい、いや、品種改良によって大きくなったのか? それはわからない。 だが、日本のリンゴは、果肉がシャリッとしていて、蜜が多くて、とても美味しい。

 

『世にも美しいダイエット』のなかで、果物を禁止しているのは、出版当時、日本の果物が往時よりも既に甘くなっていたことも理由のひとつである。 

そう、日本の果物は、甘くて美味しいのだ! 欧米のみならず、海外のどこかに住んだことがある人なら、現地の果物をあまり食べる気がしない気持ちになったことがあるのではないか? 日本で食べていた果物のほうが、ずっと美味しいからだ! 

 

だから、欧米のベジタリアン系のダイエットをそのまま日本で行う場合は、注意が必要であろう。 国それぞれで、味覚が違い、味覚の違いが、その国の食べ物に反映されるからだ。 日本人がイギリスのスーパーでキュウリを買おうとして驚くのと同じように、イギリス人も日本のスーパーで売られているニンジンを見て驚くに違いない。 

大きさだけではない。 果物に至っては、日本の果物の方が基本的に甘い。 と書くと、「日本の果物が甘いこと」イコール「日本は劣った遅れている」と考える西洋カブレもいるかもしれないが、違うのだ、西洋の美味しい食べ物に追いつこうと追いつこうと必死で努力したら、日本の食べ物の美味しさが西洋を追い越してしまったということだ。 

これは、食べ物に限らず、家電などの工業製品などにもよく見られる現象だ。 お尻を洗浄する便座なんて、その極みで、異次元の製品である! 

そういう意味では、西洋カブレの御仁の祖国日本に対する劣等感と自虐サイキは、日本の最も大きな強みともいえる(から、私は、「〇〇なダメな日本人」とか「どこかの国はこうなのに、まだ日本は...」みたいな、何に対してなのかはわからんが、おそらくはどっかで聞きかじったフラグメンタルな情報だけで自分の頭の中でこしらえた舶来幻想に対して自分の国民性を恥じ入っている人がいても、そっとしておくのだ。そうしておいたほうが、日本人全体として、その幻想に追いつけ追い越せと自らに鞭打って頑張ってしまうので、結果的に日本の競争優位性にとって有益だからである)

 

それはそれとして、どこかの国のダイエット法でもなんでも日本で行う場合は、日本の食生活に合うようにローカライズする必要があると思う。 

とくに、病気の治療のための食事療法を行う場合は、ことさら注意しないと、そのまんま日本で実行すると糖分の摂り過ぎになりかねない。 

しかしながら、この点への注意に喚起が巷(ちまた)でなされているかどうか? 日本に行けば忍者がそこらじゅうにいるかのごときに、欧米の女性がさもこぞって飲んでいる(わけねーだろ)かのように女性ファッション誌で書きたてられるフルーツのスムージーを、日本の果物で作ったらどうなるか? 

山田医師は、著書『糖質制限の真実』の中で、若い女性の朝食のはちみつ入りフルーツスムージーについて、どのように書いていたであろうか? 

西式甲田療法の青泥を飲むほうが、ずっとヘルシーである(が、青泥では若い女性が飛びつかないのだ。そもそも舶来もののスムージーなるものは、日本の青泥の逆輸入ではないかと思う。もともと自国にある良い物を過小評価して目もくれないくせに、それに着目した欧米でひとたび流行ったとたんに、欧米にエンドース(裏書き)されたもともとは自国のものを輸入して手放しで有難がるという、ここにも多くの日本人のトホホな面が表れているが、トホホと強みはコインの両面であろう)。

 

日本語の「うまい」の語源は、「あまい」ではなかろうか? それだけ、昔は甘いものは貴重品だった。 

落語に出てくる、来客に羊羹を出すシーンは、いかに羊羹が貴重で特別なものであったかが偲ばれる。 「甘い物イコール高級品」という伝統的な考えがずっと残っていて、果物も、高級なものになるほど甘いのではないかと思う、でなければ、イチゴに「あまおう」なんて名前をつけるはずがない。 

千〇屋や新宿〇野でしか手に入らなかったような甘い高級果物が、もっと甘くて美味しい高級新商品に押し出される形で、私のような庶民が行くスーパーへどんどん降りてくるのだろう。

 

落語の、江戸時代の食べ物が出てくる噺は、当時の食べ物に思いをはせられる。 野菜も、江戸の頃から、大変に様変わりしたようである。 

★★★以下は落語のネタバレ有り★★★

「唐茄子屋政談」という噺がある。 

ある大店の若旦那が、放蕩三昧から家を勘当されてしまう。 ホームレス状態のところを、叔父さんに助けられ、叔父さんのもとでイチから商いの修業をすることに。 

叔父さんから命じられた仕事は、ぼて振りの唐茄子(とうなす)売り。 天秤棒の両端に下げたカゴに唐茄子をたくさん積んで、あまりの重さに足をふらつかせ、慣れない売り声を恥ずかしげに出しながら浅草の近くまで売り歩いてきたが、ひとつも売れない。 そのうえ、向こうから来た地元の男性とぶつかってしまい、売り物の唐茄子がゴロゴロと道に転がり散乱する始末。 

地元の男性は「唐茄子を買ってくれ? そんなマズいもん食わねぇよ」と返すも、慣れぬ仕事の若旦那に同情してひとつ買ってあげたばかりか、道行く人たちに「この兄さんから唐茄子を買ってやってくれねぇか」と販売の手助けをしてくれるが、やはり「唐茄子はマズいから」と人気がない。 それでも、男性に助けられながら、ほとんどの唐茄子を売りさばくことができた。 

商売のやり甲斐を感じ始めた若旦那、売り声も板についてきて、売れ残った2個の唐茄子を下げて、浅草の外れの裏長屋に入っていく。 売り声を呼び止めたのは、幼い男の子を連れて、げっそりとやせ細った若いおかみさん。 侍のご主人が失業して浪人の身となり、慣れぬ行商に出て行ったきり、戻って来ず、もう何日も食べていないという。 せめて、この子だけでも食べさせてやりたい、と、唐茄子を買い求めたのだった。 

母子のあまりの困窮ぶりに、若旦那は、売れ残った2個の唐茄子をタダであげることにして、その代わりに、長屋の軒下で弁当をつかわしてくれと頼む。 

弁当の握り飯を取り出して食べようとすると、異様に殺気立った視線を感じて、その方向に目をやると、先ほどの幼い男の子が、食い入るようにおむすびを見ている。 そして、「おむすびがたべたい!」と母親にせがむのだ。 かわいそうになって若旦那が差し出したおむすびに飛びついて、小さな獣のようにむさぼり喰う男の子。 

「お侍の坊ちゃんがこんなにも荒(すさ)んでしまって」と、心底哀れに思った若旦那は、今日一日の売り上げ金をすべて、おかみさんにあげてしまい、無一文で叔父さんの家に戻るが、叔父さんは「どうせ遊んで使ってしまったんだろう」と信用しない。 

若旦那が叔父さんを連れて先ほどの長屋へ行くと、おかみさんが大変なことになっていた! 若旦那の善意がとんでもない方向へ展開してしまった事件が持ち込まれたのは、月番の南町奉行所。 名奉行、大岡越前のお裁きや如何に!?

 

という噺だが、噺の中で唐茄子(とうなす)が、江戸っ子たちから「マズい」と嫌われ、お金に困った人しか進んで買わないような、いかに人気のない野菜であったかが伺える。 

叔父さんが若旦那に唐茄子売りを命じたのも、ネギや青菜と違って需要が無く売りにくいうえに、重量があって行商販売するには骨が折れる、最も困難な野菜をあえて売らせて商いを修業させる意図があったのかもしれない。 

今とは大層な違いである。 

今や唐茄子は、年間を通じてメキシコ産がスーパーで手に入り、旬の季節になれば北海道産の大玉を4分割したものが売られ、煮て良し、焼いて良し、チンしてサラダにしても、ポタージュにしても良し、プリンやパイにしても良しの、甘くて美味しい、家庭の人気定番野菜である。 江戸時代からいかに品種改良されたかがうかがえる。 

それくらい味の激変を見た唐茄子だが、これは日本に限ったことではないのではないか? 

アメリカでも、もともとあまり美味しくない野菜だったのではないか? でなければ何故、いよいよ寒さが増して、生きとし生けるものすべてに過酷な死の季節である冬の到来を間近に感じ始める頃、亡くなった人たちに思いをはせる、この世とあの世の境目が最もあやふやになるといわれる、伝統的なケルト文化の日(ヨーロッパのキリスト教化によって「諸聖人の祝日」に塗り替えられた)に、くりぬいて不気味な顔の行燈仕立てにするような風習ができたのか? 風習が生まれてから長い歳月の間に、食用の品種の味が大幅に向上したのではないか。 

同じく死者を迎える日本のお盆における茄子や胡瓜のような、ある意味お供え物の意味合いもあるだろうが、こちら日本の茄子や胡瓜も、お盆の風習が生まれた当時から相当に品種改良されているはずだ。 

 

というようなことに思いをはせながら、引き続き自らを戒め励ましていく:

 

食べすぎるな!

二口女(ふたくちおんな)


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