🏠日本の古典文学に学ぶ「実(み)の成るライフ」2023年08月31日 02:33


🏠


ブログ「溜めすぎるな!」をアサブロに引っ越し中。


==========

日本の古典文学に学ぶ「実()の成るライフ」

20230831

 

日本の古典文学には、無駄を排して実(じつ)のある堅実な生活を築くための教訓が満載だ。 

 

①『日本永代蔵』 

読みたい読みたいと思っていて最近ようやく読んだ、元禄の天才、井原西鶴の、日本史上初、世界最古とも言われる、ビジネス成功指南本だ。 

自分の才覚によって起業し、事業を大きくするためのノウハウは、今も昔も変わらないと、『日本永代蔵』を読むとつくづく感じる。 

『日本永代蔵』には、せっかく一代で築き上げた事業と財を、子どもの代で一瞬で使い果たして、あっけなく失ってしまうという、栄枯盛衰の事例も描かれている。

ちょっと成功してそこそこの財を成した「小金持ち」が陥りやすいのは、小金を得ると「自分は富裕層に仲間入りした」と、とんでもない勘違いをして、必要も無く不動産や美術品を無駄に買い始めるという、罠だ。ちょっとの気の緩みが、堰を切ったような散財になって、あっという間に泡のように消え失せて、残ったのは貧乏に戻った自分や次の世代。昔も今も、「小金持ち」の周りには、いい気持ちにさせてカネをむしり取ろうとする輩たちが仕掛ける誘惑の撒き餌がいっぱいだ。

井原西鶴の『日本永代蔵』は、やがて明治~昭和に生きた本多静六の人生指南につながっていく。いつの時代もおカネは貯めたほうが良い。

追記:ちなみに『日本永代蔵』の「永代蔵(えいたいぐら)」とは、「戦乱の世が終わり、世の中に平和がおとずれた当節(元禄の当時)、才覚と努力によって財を成した金持ちたちが日本全国津々浦々に出現しており、富の象徴である蔵がどんどん建っている。これからも国全体の繁栄が幾久しく続き、日本の国に永代に、蔵が立ち並んでいますように、つまり、日本の国がこれからも未来永劫、永遠に繁栄しますように。」という井原西鶴の願いが込められているそうだ。大天才にして大先輩の井原西鶴翁の願いを、次代につなぎたい。

 

②『徒然草』 

作者の吉田兼好は僧侶だが、寺社のみならず京の宮中や巷(ちまた)の世情に詳しく、様々な社会階層の人間の悲喜こもごもを鋭い観察眼で記述する。 

「庭に開いているスペースがあったら、野菜など食べられる植物を植えて、土地を有効活用するのが良い」という内容は、今の家庭菜園やベランダ菜園に強く通じる。いつの世も、どこの国の人も、必要なときは、食べられる植物を植えて自給自足を目指す。「第二次大戦中には(食べ物に困窮して)庭に食べられる植物を植えていた」と、あるロンドンの高齢女性から聞いたことがある。

(鎌倉地方では)以前は鰹(かつお)は貧民の食べ物だったのに、近頃は上流階級の人たちまで食べるようになった」という、幕府のお膝元から京に上った人から聞いた話も、今と変わらない。ちょっと前までは、数の子は畑の肥料だったのに、いまはお節料理の高級食材だ。鮪のトロだって、昔はクズの部位だったのに、今では赤身より値が張るようになった。 

「最近の人の名前は、妙な字を用いるようになった」というくだりについて、「鎌倉時代にすでにキラキラネームがあった」と書いてあるサイトを見かけたことがあって、大うけした。

人の世は、変わらない。そして、「世の中は刻一刻と変わっていく」ことも、変わらない。

吉田兼好が唱えた「この世は定まることはない。不定(ふてい)である」は、この世の真理だ。21世紀に、700年前の賢者の叡智の恩恵を頂戴できる、日本人に生まれてよかった。 

追記:ああ!これを書こうと思って書き忘れたよ。『徒然草』には、いかに富を築くかについての、当時の大富豪の教えが引用されている。そして、吉田兼好は、「...というのが大富豪の教えであるが、大富豪はカネをどんどん蓄財しても、変わらずケチケチと質素倹約に励み続けるのだから、カネが有ってもカネを使えない。これでは、カネが無くてカネを使えない貧乏人と何ら変わらないではないか!」と喝破しつつ、「そこまでドケチに徹する大富豪の哲学は、ある意味、仏門に入って悟りを開く修行にも通じるものがある」と、吉田兼好は深く思索するのであったかな?たぶんそうだったと思う。

吉田兼好が記録した、鎌倉時代末期の大富豪の生き方は、江戸元禄の井原西鶴を介して、明治~昭和に生きた本多静六に受け継がれていく。

 

③『方丈記』

「ミニマルライフ」とシャレ込んでいる向きは、800年前の鴨長明のライフスタイルを真剣にマネしたいに違いない。

鴨長明こそ、真のミニマルライフの体現者だ。京の都でこの世の無常を嫌というほど味わった後に晩年にミニマルライフに転じてから、鴨長明さんは全然おカネを使っていない、というかね、おカネが無いから使いようがない!これこそまさに、ミニマルライフの神髄だ。

巷の人たちからの僅かな御喜捨に頼って、つましく独り生計を立てながらの、最低限の生活用品と、最低限の好きなモノだけに囲まれた、心(だけが)豊かな高度で枯れ切った文化&精神生活。これこそが風流の道だ。 

 

「人生とは淘汰である」という、ある占い師の言葉に、そのとおりだと思った。

私はどこまで、足元の淘汰の網目にかろうじてひっかかって生き残っているのか、また、どこまで、頭上に見える淘汰の網目からこぼれ落ちてきているのか?


老後は、人生の秋だ。人生の冬に向かう。物が豊富に手に入った春や夏には、逆戻りすることはないだろう。 

 

日々、粛々と、無駄を省いた生活と心持ちで、静かに淡々と生き延びていきたい。

 

🍊🍊🍊🍊🍊

 

今日も、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。

 

モノについて

 モ① もらったモノは、基本的に捨てる。

 モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。

   例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、

      死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、

      保有し続ける。 

 モ③ つまらないモノには、近寄らない。

 

ストレスについて

 ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。

 ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。

 ス③ つまらない情報には、近寄らない。

 

このブログの目的は、還暦を目前に、

家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ

「シニアの実()の成るライフ」を追求することである。

 

アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、

健康で、無駄もなければ不足もない、

(じつ)の有る暮らしを淡々と続けられる、

「シニアの実()の成るライフ」を目指していく。

家の中も、脳の中も、

 

溜めすぎるな!

だがカネは貯めろ!

笑い女(顔)

 

笑い女 - Wikipedia

 


🏠

コメント

トラックバック