🌖死ぬことは、生きること。 ― 2023年09月07日 04:32
死ぬことは、生きること。
20230907
「死ぬことは、生きること。」だと思った。
死んだ後に、その人の人と成りや生きざまが、周囲に知られるところとなる。
「義母が亡くなった後、義母がお墓や相続など、死後に必要な手続きをキチンと行っていたことが判明した。残された子どもたちの手間を最小限にして旅立った義母は、天っ晴れであった」という内容の、どなたかのブログ記事を拝読しだ。
そのとき、「死ぬことは、生きること」なんだなぁ、と、しみじみ思った。
人間は、死んだ後に、生前にどのような生き方をしていたかが白日のもとになり、それを記憶されるんだ、と思った。
自分の死後の手続きがグダグダになって、残された人たちに手間をかけたり、彼らを争わせたりする生きざまであれば、「その人の人生はグダグダでした」と、残された人たちの心の墓標に刻まれる。
生前どんなに、業界が仕組んだ「セレブなシニアが発信する流行のライフスタイル」を追いかけておカネ使い続けてオシャレにキメてセレブな暮らしぶりをマネて満足していても、死後の手続きがグダグダだったら、「その人の人生はゴミ屋敷でした」と記憶される。
逆に、生前、身の丈に合った暮らしをしていて、死後の手続きが水際立ってサクッと終了した人は、「その人の人生はキレイで天晴でした」という生き様を残すことになる。
人生の後半は、死へ向かって生きていく。
お迎えが来たらサクッとこの世を卒業して、跡を濁さず旅立てればいいなと思う。
死ぬ間際に、「この世に生まれて、苦労が多かったけれど、「終わり良ければすべて良し」で、人生の終盤は幸せに過ごせて、ほんとうによかった。ありがとうございます。」と感謝しながら、清々しい気持ちで旅立ちたい。
それの足かせになる、無駄なモノやコトや思いは、いりません。
60間近になったら、魂の足を引っ張る無駄なモノやコトや思いは、
もうどうでもいいよ。
どうでもいいよ。
もういいよ。
もう、いいよ。
浅井忠「十二月」(部分) NDLイメージバンク(国立国会図書館)
作品全体図はこちらのサイトのどこかにある:
美術文芸雑誌『方寸』|NDLイメージバンク|国立国会図書館
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