🗻未来に記憶したい、戦後昭和の少女漫画の定番の悪役: 大財閥の御令嬢(つづき) ― 2024年01月10日 07:55
🗻未来に記憶したい、戦後昭和の少女漫画の定番の悪役: 大財閥の御令嬢 (つづき)
① 定石どおりの例:
「アタックNo.1」
「キャンディ・キャンディ」
② 変則的な例:
「さすらいの太陽」
「ガラスの城」
③ 少年漫画における変則例:
「巨人の星」(←大財閥の御曹司)
「あしたのジョー」(←大財閥の御令嬢)
前回、①の定石どおりの典型的な例として、
「アタックNo.1」の、早川みどりを挙げた。
今回は、②変則的な例について記憶していきたい。
② 変則的な例(1): 「さすらいの太陽」
私は、子どもの頃テレビまんがを熱狂的に見ていたが、原作は漫画らしい。
のぞみ(主人公)のモデルが藤圭子(ふじ けいこ)であることは、子どもの頃から知っていたとおもう。ちなみに、藤圭子は、宇多田ヒカルの母親である。
戦後昭和の少女漫画の定番筋書き「赤ん坊のすり替え」によって、すり替えられてしまった、大財閥の御令嬢と、貧乏人の娘が、やがて、それぞれに歌手を目指し、出会うことになる。
天性の歌唱力を持つ貧乏人の娘、のぞみ(主人公)は、何不自由なく育ち父親の財力で歌手デビューをした大財閥の御令嬢ミキから執拗な嫌がらせを受けながらも、今日もギターを抱えて街角に立ち、歌う。
しかし、かつて同じ病院で同じ日に生まれた二人は、赤ん坊の時に、すり替えられていたのだ!
二人はその事実を知ることになるのか? そして、のぞみは歌手になれるのか!?
テレビの前で、
「のぞみ、がんばれ!のぞみ、負けるな!」と、
こぶしを握りしめながら、食い入るように見ていた、子どもの頃の私がいた。
② 変則的な例(2): 「ガラスの城」
少女漫画「ガラスの城」はテレビ化されなかった。テレビ化できるはずがない。
これも、「赤ん坊のすり替え」によって、大財閥の御令嬢と貧乏人の娘が、そうとは知らずに育っていき、やがて出会うことになるのだが、
御令嬢(実は貧乏人の娘)のイザベラだけが、その事実を知ってしまったのだ!
だが、貧乏人の娘(実は御令嬢)のマリサは、それを知らない!
御令嬢の身分を失いたくないイザベラは、卑しい生まれの性根(しょうね)からなのか、聖母のように清らかな心のマリサに対して、いろいろな企てをし始めるのだが...。
二人はやがてそれぞれに結婚し、運命のもつれた糸は、二人の娘たちに引き継がれていく...。
この漫画は、もはや公に復刻することはないと思うが、戦後の昭和の社会サイキを反映する漫画だったのではなかろうか。
漫画家の わたなべまさこ さんの、西洋趣味で背筋が凍るような作風や画風には、西洋に対する日本人の病的な憧れと、そんな日本人の深層心理を映してか、西洋に対する嫌悪のようなものも滲み出ていたのかもしれない。
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① 定石どおりの例:
「アタックNo.1」
「キャンディ・キャンディ」
② 変則的な例:
「さすらいの太陽」
「ガラスの城」
③ 少年漫画における変則例:
「巨人の星」(←大財閥の御曹司)
「あしたのジョー」(←大財閥の御令嬢)
前回、①の定石どおりの典型的な例として、
「アタックNo.1」の、早川みどりを挙げた。
今回は、②変則的な例について記憶していきたい。
② 変則的な例(1): 「さすらいの太陽」
私は、子どもの頃テレビまんがを熱狂的に見ていたが、原作は漫画らしい。
のぞみ(主人公)のモデルが藤圭子(ふじ けいこ)であることは、子どもの頃から知っていたとおもう。ちなみに、藤圭子は、宇多田ヒカルの母親である。
戦後昭和の少女漫画の定番筋書き「赤ん坊のすり替え」によって、すり替えられてしまった、大財閥の御令嬢と、貧乏人の娘が、やがて、それぞれに歌手を目指し、出会うことになる。
天性の歌唱力を持つ貧乏人の娘、のぞみ(主人公)は、何不自由なく育ち父親の財力で歌手デビューをした大財閥の御令嬢ミキから執拗な嫌がらせを受けながらも、今日もギターを抱えて街角に立ち、歌う。
しかし、かつて同じ病院で同じ日に生まれた二人は、赤ん坊の時に、すり替えられていたのだ!
二人はその事実を知ることになるのか? そして、のぞみは歌手になれるのか!?
テレビの前で、
「のぞみ、がんばれ!のぞみ、負けるな!」と、
こぶしを握りしめながら、食い入るように見ていた、子どもの頃の私がいた。
② 変則的な例(2): 「ガラスの城」
少女漫画「ガラスの城」はテレビ化されなかった。テレビ化できるはずがない。
これも、「赤ん坊のすり替え」によって、大財閥の御令嬢と貧乏人の娘が、そうとは知らずに育っていき、やがて出会うことになるのだが、
御令嬢(実は貧乏人の娘)のイザベラだけが、その事実を知ってしまったのだ!
だが、貧乏人の娘(実は御令嬢)のマリサは、それを知らない!
御令嬢の身分を失いたくないイザベラは、卑しい生まれの性根(しょうね)からなのか、聖母のように清らかな心のマリサに対して、いろいろな企てをし始めるのだが...。
二人はやがてそれぞれに結婚し、運命のもつれた糸は、二人の娘たちに引き継がれていく...。
この漫画は、もはや公に復刻することはないと思うが、戦後の昭和の社会サイキを反映する漫画だったのではなかろうか。
漫画家の わたなべまさこ さんの、西洋趣味で背筋が凍るような作風や画風には、西洋に対する日本人の病的な憧れと、そんな日本人の深層心理を映してか、西洋に対する嫌悪のようなものも滲み出ていたのかもしれない。
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