🏠台所の戸棚の中の収納を「見える化」した(その②)2023年08月24日 02:08


🏠


ブログ「溜めすぎるな!」をアサブロに引っ越し中。


==========

台所の戸棚の中の収納を「見える化」した(その②)

20230824

 

台所の戸棚の内部収納のために、ある型番の取っ手付き透明収納カゴを100均サイトで大量購入し、戸棚の内部にズラっと配置して、収納物を「見える化」した。

 

「家片づけや捨て活をしているのに、収納グッズを買い足すとは、本末転倒じゃないか!?」とも思ったのだが、

 

一種類の100均収納グッズで収納システムを統一することにより、家の中の収納を見える化することは、真の意味での「ミニマルライフ」につながるのだ!と私は確信したので、決行した次第である。


 

一種類の100均収納グッズを大量に使って家の中の収納を見える化することで、次の良い影響を得られると私は考える:

 

①家の中の収納のシステム化による、モノへの敬意の醸成:

一般的に、企業や工場は、職場や作業フロアにファイリングシステムや収納システムを構築し、従業員はそのシステムに従って、文書や部品を管理している。その際に、規格が統一された収納容器を使い、ラベルを貼るなどして「この容器にはこのモノが入っていますよ」と明示することによって、職場や作業フロアの誰もが間違いなくそのモノを取り出したりしまったり補充したりして、職場・フロア全体でモノを管理できるようにしている。

一般家庭の収納がぐちゃぐちゃになってしまう原因は、「家は職場じゃないから」という気の緩みから発生しているのではなかろうか。家では、一種類の収納容器の大量購入に投資せずに、頂きものや買った商品が入っていた雑多な空き箱を使って収納しがちだ。また、その空き箱は不透明なので、モノを収納したとたんにモノが「見えない化」してしまい、存在を消されて忘れ去られてしまうという危険をはらんでいる。さらに、家全体のモノを管理する役割を負いがちな一家の主婦(主夫)が、自分だけがそのモノの収納場所を知っていて、収納した箱の表面に内容物を明記したラベルを貼る手間を怠りがちになり、主婦/主夫だけがモノの有りかを知っている、そのうちに、当の主婦/夫本人がそのことを忘れてしまって、同じモノを買い足してまた溜め込んでいくという、悪循環が生まれるのではなかろうか。そして、家の中の収納は、規格が統一されていない雑多な空き箱の中に、一体ぜんたい何を入れたのか誰もが忘れてしまったので、もはや使わなくなってしまった不要なモノが雑然と積み重なり滞留して溢れていく、ということになる。

これを避けるために、今回私が使用した一種類の100均収納グッズは、取っ手付きで透明のプラスチックカゴだ。しかも隙間が空いたバスケット状なので、中に入れたモノを認識・識別しやすい。このように、一種類の規格のちゃんとした入れ物を用意してあげて、「見える化」して収納してあげると、入れられたモノも喜ぶというものだ。人間だって、自分の存在や貢献を無視されると、クサるものだ。モノも同じだと思う。ハンパな箱の暗い中に閉じ込められて自分の存在や効用を認識してもらえずに、忘れ去られていくばかりでは、いかにモノであってもクサってしまうと思う。百鬼夜行図は、大事にされないモノたちの怨念を見事に表現している。モノには神が宿る。神とは、モノの原子核(+)とその周りの電子()の陰陽の巴(ともえ)から生まれるエネルギーにほかならないと私は考えている。だから、モノは、そこに有るだけで、モノを構成する無数の原子から神(エネルギー)を発しているのだ。人間同様、モノをナメめてはいけない。モノを軽んじると、とんでもないしっぺ返しを食うことになる。ネット社会になって何でもかんでも電子化されたが、停電や何らかの理由でネットがダウンしてしまったら、もしもネットのビッグブラザーが気まぐれや何らかの意図をもってネットの蛇口をひねって閉じてしまったら、ビッグブラザーにすべてを握られている一般ピープルは、自分の個人情報から電子書籍から電子マネーの貯金から一切がっさいを取り上げられてしまう。それは、「無」と同じだ。だって、電子的なモノのみなさんが一斉にお隠れになって、自分の目の前から姿を消してしまうでしょ。そんな時に力を発揮できるのは、紙幣や硬貨。現金だけだ。年寄りたちのタンス預金を嘲笑してはいけない。彼らの中には、戦後に、形ある有価証券さえも紙くずになってしまった経験をしたから、銀行の預金通帳に印字された数字だけでは到底信用することができない人たちがいるのだ。いわんや、通帳すら無いネットバンキングだけでは、生理的にとても信用できないのだ。彼らの感覚は正しい。ネット環境が奪われたら、一般の人たちの生活は石器時代に逆戻りだ。「ネット社会だから紙も鉛筆も持たなくて平気さ!」なんてうそぶいてた途端にパソコンやスマホが使えなくなってしまったら、岩に文字を彫るしか手立てがないではないか。我々の生活はそれほどまでに危うい。大多数の人たちは、5分後にはフリントストーン一家(=石器時代人の家族が主人公のアメリカの古いアニメ)になるかもしれないのだ。人間が、物理的な身体を持ち、その体を置くのに必要な地面を占有しつづけることによってしかこの世で生きられない限り、健康な身体と、サバイバルに必要な適切な物理的なモノ(住居や衣食料をはじめ紙幣硬貨有価証券商品を含む)をじゅうぶんに持っている人が生き残る。

 

②収納内部に「先客有り」状態を作ることによる、モノ購買欲の抑制:

①のように、同一規格の収納カゴを棚の中に整然と並べると、その棚スペースは「すでに先住のモノに占有されている」というメッセージが発信されはじめる。モノが12コしか入っていないスカスカの収納カゴであっても、十分に効果があると私は思う。駐車場に駐めたクルマは、中に人が乗っていなくても、駐車スペースを堂々と占有して、それをわざわざ移動してまであえてそこに駐車しようとする人はいない。同じことだ。たとえ、モノを収納する入れ物が空(カラ)であっても、入れ物自体がその場所を占有しているだけで、それを見た人は遠慮して、あえてそこに新規にモノを買ってきて入れようとする気が起きないものである。

だから、物理的なモノや人間を送り込んで、場所でも島でも実質的に占有してしまうと、それがどんなに道義から外れた所業であっても、おいそれと手出しができなくなってしまうのだ。ここのところを、私たちはよーく頭に入れておくべきだ。

 

100均の収納グッズならではの、真の意味のミニマル収納の実現:

今回大量購入して使用した100均の透明収納グッズは、100均業界に盤石の自社製品を送り出し続ける某社の製品だ。私は100均の収納グッズは真に美しいと思っている。その美しさとは、コストパフォーマンスを追求して無駄や虚飾を極限までそぎ落とした、実(じつ)の有る、というか、もはや実(じつ)しか残っていない、最小限(ミニマム)の原材料を使って最大限(マクシマム)の効率性を達成した境地に到達した、その効用が最大限(マクシマム)に発揮されたモノだけが発つ美しさ、機能美だ。ミニマムの量の原料を使って、いかにマクシマムに頑強で安全な製品を企画・設計・製造するかを日々考え試行錯誤し続ける社員の方々の努力が結晶化して晴れて製品となって世に送り出されたのが、これらの100均グッズなのである。だから、美しくないはずがないのだ。「ミニマルライフ」の流行の仕掛け人たちが餌まきする「ミニマルグッズ」は、ここのところが実はミニマルではなかったりする。つまり「ミニマルライフ」という虚像に憧れる虚飾や虚勢や見栄を満足させるために仕込まれた要素が、その商品の付加価値のかなりの部分を食ってしまっているのではなかろうか?ということである。だから、「ミニマルライフ」実現のためのミニマルなグッズに限って、値段がぜんぜんミニマルじゃなかったり、肝心の使い勝手のほうがミニマルにされちゃってて、使う人にとっての手間や使いづらさがマックスになってしまっていたり、そういった、名目上「ミニマルな」グッズに散財した挙句に貯金がミニマルになってしまったり...というトンチンカンなことになりはしないか。そういう「ミニマルという虚飾」までもそぎ落とさなければならない、鬼のように非情な効率性が達成された、その先に、はじめて、真の意味のミニマルなグッズが、マクシマムの効用のオーラを放ちながら、100均ショップの棚に並んでいるのである。 

そして、今回の100均透明バスケットのさらなる効用とは、逆説的だが、「あまりたくさんモノを入れると重さで取っ手がたわんで折れるんじゃないか?と心配になる」という点にある。「なんだよ、それじゃぁ、モノがたくさん入れられないじゃないか!」と思う向きもあるだろう。でもさ、100均の商品だよ。1,000円じゃないんだよ。100均のバリューに対して求めすぎなんじゃないのかな?もしも、この透明バスケットの製造元の某社さんがね、上代1,000円+消費税で同型の商品を作ってもいいんだったら、ゾウが踏んでも壊れない、実質的なバリューが3,000円にも4,000円にもなるような、恐ろしく頑強で耐久性が最高の、超高品質商品を作っちゃうと思うよ。でも、100均のために何とか作らなければならないんだから、使える原材料だって、すずめの涙みたいな量だよ。そんな、すずめの涙ほどの原材料を使って、たった100円+消費税ポッキリで、大きさもあってこんなにしっかりした収納カゴを製造している某社さんは、畏敬の念で見られる他ないでしょ。

そして、「あんまりたくさんモノを入れすぎると重くなって取っ手がもげないかちょっと危うい気持ちになる」という点が、実はたいへんに優れた点であると私は疑わない。というのは、あんまりモノを入れられないということは、あんまりモノを収納できないんだから、あんまりモノを買い込んで家の中に溜められないことにつながるでしょ。よいじゃないですか!だから、台所の戸棚の中に整然と並んだこの100均透明カゴの中や上部には、かなりの空間が作られて、今回の私による非情な捨て活を生き残ったモノたちも、ゆったりくつろいで収まっている感じがしますよ。やっぱり、モノだって、人間と同じで、すし詰めの満員電車みたいにギュウギュウに押し込められているのは、好きじゃないんだと思う。そして、ゆったりくつろぐモノたちの上部には、じゅうぶんな空間が。そう、「空(くう)」が生まれたのだ。

 

④「空有り」という般若心経的生きる指針の獲得:

みうらじゅん氏が「アウトドア般若心経」という行(ぎょう)を思い立ったきっかけが、コインパーキングで見かけた「空有り」という看板だったと、タモリ俱楽部で語っておられたのを覚えている。さすが、仏教を体得しておられる、みうら氏ならではの慧眼だ。「色即是空、空即是色」。モノは、空(くう)であり、空もまた、モノである。そして、みうら氏が閃(ひらめ)かれた「空有り」は、自然科学的に見ても全くもってその通りだ。「空」という空間は、じつは、無ではない。そこには、空気が存在している。空気が、有るのだ。「空」と「気」が、有るのだ。空気は窒素や酸素や水素や二酸化炭素の集合体だ。つまり「空」という物質(N2O2H2OCO2など)と、それらの物質の原子から発せられる「気」のエネルギーが、そこに存在しているのだ!「空有り」。「空」は、確かに、そこに有る。そして、「気」を発しているのだ。空気の大半を占める窒素(N2)は、Nという原子から伸びた3本の手が、もうひとつのN原子の3本の手とシッカリ手をつなぎ合っている、最も安定した分子構造を持つ気体だ。そんな超安定の窒素(N2)が大半を占める空気は、まさに安定を生む。安定の安は、安心の安。安寧の安。平安の安。心安らかの安。家の中の収納棚に「空」が生まれ、空気の安で満たされる。そのとき、家の中は安らかになり、その家に住む人の心も安らかになる。

 

🍊🍊🍊🍊🍊

 

今日も、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。

 

モノについて

 モ① もらったモノは、基本的に捨てる。

 モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。

   例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、

      死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、

      保有し続ける。 

 モ③ つまらないモノには、近寄らない。

 

ストレスについて

 ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。

 ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。

 ス③ つまらない情報には、近寄らない。

 

このブログの目的は、還暦を目前に、

家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ

「シニアの実()の成るライフ」を追求することである。

 

アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、

「シニアの実()の成るライフ」を目指していく。

家の中も、脳の中も、

 

溜めすぎるな!

だがカネは貯めろ!

笑い女(顔)

 

笑い女 - Wikipedia

 



🏠