🏠ミニマルライフの罠は、貯金がミニマルになりかねないことだ。2023年07月24日 00:46


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ブログ「溜めすぎるな!」をアサブロに引っ越し中。


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ミニマルライフの罠は、貯金がミニマルになりかねないことだ 

20230724

 

私は「実()の成るライフ」を目指している。

よって、「ミニマルライフ」は追求していない。


理由は、

「ミニマルライフ」を追求すると、

貯金がミニマルになってしまう可能性があるからだ。

 

「ミニマルライフ」実現のために要らないものを捨てるのは合理的に妥当だが、まだ使えるモノをわざわざ捨てて「ミニマルなモノ」に買い替えるミニマリストたちがいるのではなかろうか。それは「ミニマルライフ」と言えるのか? 

 

彼らの「ミニマルライフ」は、「ミニマルライフ」の教祖に憧れ、彼らの真似をしようとするファッション(=流行)みたいに感じられる。

 

以前、姉妹ブログ「食べすぎるな!」に書いたが、1990年代後半に、女性たちの間であるダイエットが流行した。もともと、ある医師が、末期がんや重度の糖尿病患者の治療を目指して考案したシリアスな食事療法だったものが、ある女性ファッション誌がそれをオシャレなダイエット法に仕立て上げ、瞬く間に流行のダイエット法になった。私も当時そのダイエット本を買って、真似したものだ。だが、そのダイエット法の教祖になった女性編集者の末路は悲劇的だった。

 

こういった、女性をターゲットにした流行ものは、プロたちが仕掛けている。プロたちとは、女性向け雑誌の編集部だ。彼らによって発掘され教祖に仕立てられた人たちは、ライフスタイル・アイドル(=偶像)となり、自らの私生活を売り続けなければならない宿命を背負う。自分だけではない。私生活を売り物にするということは、自分の家族も売り物にするということだ。世間に顔を出して、時には配偶者や子どもまでも売らなければならないこともある。

 

だから私は思う。「ミニマルライフ」の教祖たちの心の中は嵐のようだろうと。「ミニマルライフ」の教祖たちにとって、ミニマルな生活は、彼らの仕事だ。日常生活の一挙手一投足を売る仕事だ。彼らは、彼らを教祖と仰ぎ彼らのマネをする信者たちから飽きられたら終わりだから、次々に「ミニマルライフ」のグッズを紹介する。その背後には、雑誌の広告主である企業各社がいるかもしれない。教祖として生きることは、並大抵のことではないだろう。 

 

私のような一般人としては、「ミニマルライフ」の教祖というライフスタイル・アイドルつまり傀儡(=くぐつ。操り人形)の背後にいる黒子たちに踊らされないようにすることだ。彼らは私の財布の中身を狙っている。「ミニマルライフ」に踊らされて、ミニマルなモノを次から次へと買い過ぎて、虎の子の貯金がミニマルにならないようにしたいものだ。 

 

だから、このブログの題名は「溜めすぎるな!」である。おカネは、いくら貯めても、貯めすぎることはない。

 

私にとって、「ミニマルライフ」の真の意味は、仕掛け人たちがこちらを踊らそうとして手を変え品を変え煽ってきても、感情をミニマルに保って、無駄なモノを買わず、無駄なことをせずに、日々の出費をミニマルに保ち、生きていくために絶対に必要なおカネを少しずつでも確実に貯めて、末永く安心して暮らしていくことだ。

 

つまり、実(じつ)の有る生活だ。私は、実(じつ)が有って充実した「シニアの実()の成るライフ」を目指している。  

 

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ここで、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。

 

モノについて

 モ① もらったモノは、基本的に捨てる。

 モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。

   例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、

      死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、

      保有し続ける。 

 モ③ つまらないモノには、近寄らない。

 

ストレスについて

 ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。

 ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。

 ス③ つまらない情報には、近寄らない。

 

このブログの目的は、還暦を目前に、

家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ

「シニアの実()の成るライフ」を追求することである。

 

アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、

「シニアの実()の成るライフ」を目指していく。

家の中も、脳の中も、

 

溜めすぎるな! 

笑い女(顔)

 

笑い女 - Wikipedia

 




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