🍰生活習慣病の予防に必要だ!と思ったこと2022年01月11日 23:17


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20220111日にブログ「食べ過ぎるな!」に書いた記事のコピペ。

 (ブログ「食べ過ぎるな!」をアサブロに引っ越し中。)


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生活習慣病の予防に必要だ!と思ったこと 

20220111

 

 糖尿病でも脂質異常症でも、

 生活習慣病の予防に必要だ!と思った最重要ポイントは:

 自分の健康状態の定期的なデータを主体的に蓄積し、

 自分に関する食と健康の相関関係を把握しようと、主体的に努めること

 である、と、現時点では確信している。

  

過去1年間、複数の医療機関で血液検査を受け、

 複数の医師の診察も受け、

 また、栄養士による指導も受けた。

  

その結果、

 「私の場合は、何をどれだけ食べると、どの数値が上がる」

 という傾向を、

うっすらとではあるが把握できるようになってきた。

 

何事も、練習と、慣れである、と痛感した。

 

非常に僭越ながら、

糖質制限の先達の方々や、ケトン食のがんサヴァイヴァーの方が、

毎日血糖値を計っておられる理由が、私なりにではあるが、よくわかった。

 

皆さんは、皆さんに各自にとってのオンリーワンの食事内容をつきとめるべく、一日のキーポイントとなる時間に血糖値を計っておられるのだ。

 

一人一人にとっての最適な食事の内容は、一人一人のオンリーワンだ。

 

これが、栄養士の指導を受けた私が感じたことである。

 

私が受けた栄養指導は、カロリー制限食であった。

私への質疑応答をもとに栄養士がはじき出した私のための食事は、

「え? 1日にこれっぽっちしか食べてはいけないの?」と思うほど少ない量だった。

ためしに1週間試してみたら、

すでに痩せ過ぎの体重がさらに1キロ減ってしまったので、

このままでは人間の干物になってしまう!

と思って、怖くなってやめてしまった。

 

どうして、栄養士がはじき出した私のための食事内容で、私がさらに痩せてしまったのか? について、いろいろ考えてみたのだが、

下記の理由があるのではないか?と思った:

 

理由①: 栄養士による栄養計算は、私の自己申告に基づいているから。

理由②: 栄養士による栄養計算は、栄養士の頭の中の常識や考えが反映されるから。

理由③: 通常のカロリー計算では考慮されない要素が存在するから。

 

理由①と②は、私と栄養士のそれぞれの個人的な私感が、どうしてもカロリー計算に入り込んでしまう、ということだ。

 

つまり、私の個人的な私感と記憶に基づく自己申告の内容をベースに、栄養士の個人的な私感や経験が投影されたカロリー計算になってしまうので、はじきだされた「私にとっての適性な食事」に客観性が欠如してしまうからだ。 

 

これは、あたかも伝言ゲームのようなものである。

私が頭の中の記憶から思い出して「これくらい」と言った量が、客観的に正確な量とはいえないし、それを聞いた栄養士さんが頭の中で想像する「これくらい」の量も、客観的に正確な量とはいえない。

 

だから、栄養士さんがどんなに正確に計算しても、私⇒栄養士さん の伝言ゲームの中で、どうしても情報が歪曲されてしまうのだ。

 

私も、栄養士も、どちらも悪いわけではない。 人間だもの。 仕方がないことだ。

仕方がないが、仕方がない要素を防げないので、

カロリー計算自体も、仕方がないものになってしまうことが避けられない、ということだ。

 

理由③の「通常のカロリー計算では考慮されない要素が存在する」というのは、栄養指導を受けて私が感じたことだ。

 

栄養士は私に、一日の運動量を尋ねたが、この「運動量」は、「身体を動かす量」のことだけである。

 

ところが、将棋の名人たちの中には、対局中の休憩時間にカツ丼や甘いケーキをたくさん食べるにもかかわらず、対局が終わると数キロも痩せてしまう人がいるという。

これが意味するところは何か?

明らかである。

人間は、「身体を動かす運動」の他に、「脳を働かせる運動」も行っていて、

人によっては、この「脳の運動量」が大きい場合があるからである。

将棋のプロ棋士たちは、何時間も座ったまま、ろくに身体を動かさないが、100手近くも先を常時読みながらの真剣勝負における彼らの脳の運動量は尋常ではないはずだ。

だから、対局が終わると、数キロも体重が減ってしまうのだろう。

 

同じように、

「痩せの大食い」といわれる人たちの中に、「脳の運動量」が大きい人たちがいるのではないか?

「痩せ型の女性」の中には、子どもの頃から、ダイエットをしたことが一度も無いのに、運動部に入っていないのに、ふだんロクに運動もせずに大食いしていても痩せている人たちがいる。 私がそうだ。

そのような人たちは、将棋のプロのような高度な頭脳を持っている人ばかりではないと思う。 良くも悪くも頭でいろいろこねくりまわして考えてしまう人たちも、無駄に脳を働かせているので、脳の運動量が大きいはずである。

 

カロリー計算には、この「脳の運動量」が全く考慮されていない。

 

カロリー計算でカウントされない要素が、他にもある。

カロリーがゼロの食品だ。

カロリーがゼロの食品だって、人間の身体の中に入るのだから、

「何らかの作用」をしているだろう。

 

その「何らかの作用」の可能性が考慮されないカロリー計算を、額面どおり信用してよいものかどうか?

 

私の場合、毎日一定量食べているゼロカロリー食品は、寒天である。

主に便秘の対策のために寒天をコップ1杯分以上は食べている。


  ↑ ここである!「コップ1杯分」とは、正確にはどれくらいの量なのか? 

    私の使っているコップの容量はどれくらいか?

    ここに、すでに私感が入り込んでいる!

 

栄養指導の初回セッションの時に、私は寒天を常食していることを栄養士に伝えたが、栄養士さんはあまり反応せずスルーしたようだったので、次のセッションで、私はもはや寒天のことを伝えなかった。

だが、寒天は食物繊維である。「食物繊維は糖や油脂の吸収を抑える」と言われるのならば、寒天が私の摂取した糖や油脂の吸収に影響を及ぼしているはずである。

でも、カロリー計算では、寒天は完全に無視される。

 

このように、「脳の運動量」や「ゼロカロリー食品」は、カロリー計算では考慮されない。

 

カロリー制限食に限ったことではない。 

寒天は、糖質もゼロだから、糖質制限食でもカウントされない。

だが、難消化デキストリンが「糖の吸収を穏やかにします」なら、寒天だって糖の吸収を少しは穏やかにする可能性もあるのではないか?

 

このように、

 

カロリー計算であっても、糖質制限食の計算であっても、「脳の運動量」は考慮されないが、込み入った思考を常時行うような脳への負担が大きい仕事や生活の人の脳のエネルギー消費量の大きさを無視してよいものだろうか? そして、「ゼロカロリー食品」や「糖質ゼロ食品」は計算ではスルーされてしまうが、胃に入って腸を移動していくのだから、栄養の吸収に何らかの作用を及ぼしているのではなかろうか?

 

それらが、考慮されない。

 

だから、

脳の運動量が多い人や、食生活に特徴がある人たちに対しては、ドンピシャリの栄養の解答を導き出すことはできないのではないか?

 

いや、そもそも、

カロリー制限食の計算であっても、糖質制限食の計算であっても、

それらが提示する「標準的な食事内容」をベースにしたメニューがドンピシャリで当てはまる人なんて、この世に存在するのだろうか?

「標準」や「平均」は、それぞれが個性的な人たちをたくさん集めて計測した数値を均(なら)したものであって、「標準値」や「平均値」自体が、この世に存在しないイリュージョンなのではないか?

 

だから、

私の申告をベースに栄養士がはじき出した食事内容に対して、

私が「え?これっぽっちしか食べられないの?」

と感じたのは、

私の本能コンピューターが「こんな量じゃとても足りないよ!」

と判断したからなのだろう。

 

私の本能コンピューターは、私の脳の無意識領域にいままでの私の人生を通して蓄積された膨大なデータの集積をもとに、瞬時に演算して解を導き出す、私にとって最も信頼できるコンピューターだ。 だって、私本人の脳内に有るんだから。 この、人間の脳の無意識の絶大な有能性については、マルコム・グラッドウェルの著書「Blink」に詳しい。「勘ピューター」は、自分にとって最も信頼できるスーパーコンピューターなのだ。

 

だから、糖質制限やケトン食の先達の方々は、日々、自らの血糖値を計り続けておられるのだ。

 

それしか、方法が無いのだ。

 

自分にとっての最適の解は、自分でいろいろ試行錯誤して、自分の脳内無意識コンピューターに演算処理させて、自分で導き出すしか、方法が無いのだ。

 

人任せにした途端に誤差が生じることは、避けられないのだ。

 

私は、自分で血糖値を計るまでは至っていないが、定期的に検査を受けることで、自らの食事と健康の傾向についての感覚ができてきたと感じるので、この調子で続けていこうと思う。 ちなみに、直近の血液検査の結果、空腹時血糖値を100未満に抑えながら脂質の数値を下げることに成功したことが判明した。 この、直近の食事内容を踏まえて、今年も、自分にとっての最適な食のバランスを追い求めていく。

 

最後に、栄養士の方々の仕事は、それ自体、尊いものだと、私は思う。

栄養士の方々は、伝統的に、女性である。

かつて、女性の職業が限られていた頃、食事や栄養といった「家庭的な」分野は、女性が進出できる数少ない職業分野だった。

1980年代後半の男女雇用機会均等法によって女性の職場が多様化する以前、大多数の女性が「お茶くみコピー取り」という、男性の補助的な仕事に甘んじていた時代に、プライドを持って従事することができる職業のひとつが、栄養士であっただろう。

女性の職業の可能性が爆発的に増えた今、栄養士の女性が、医療業界で、いささか下に見られているとしたら、いや、今も昔も、医療業界において、栄養士という職業が「女の仕事」として二流の職種扱いをされている限り、カロリー制限食であっても何であっても、それらを患者たちがリスペクトして順守しようと思うはずがない。 だいたい、栄養士たちが働くその職場は、立派な大病院の中の、一体、どこに有るか? もしかすると、院内の場末のような、誰も行きたくないような薄暗い場所に、押しやらていたりはしまいか? そんな場末の薄暗い場所に患者が喜んで出向いて栄養指導を仰ぎたいと思うかっ!? 栄養士たちを「ショムニ」のような場所に押し込んで平気でいるような「栄養士蔑視」のメカニズムが医療界で続く限り、カロリー制限食の指導であっても何の指導であっても、上手く行くはずがない! そもそも、食は、人間の生命の根源ではないか!? であれば、その根源的な食を担当する栄養士たちの職場を、病院内で最も環境の良い場所に設置するのが当然ではないか? そうではない実態に、医療界のゆがみやひずみが表れている。

 

食べすぎるな!

二口女(ふたくちおんな)


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