🏠モノを溜めすぎると禄(ロク)なことがないとわかった。 ― 2023年09月18日 03:03
モノを溜めすぎると禄(ロク)なことがないとわかった。
20230918
モノを溜めすぎるとロクなことが無い!というのが、今回の大規模な捨て活を決行して実感したことだ。
「ロクなことが無い」の「ロク」は、「俸禄(ほうろく)」の「禄(ろく)」。つまり、かつての御家人(武士)の年棒(サラリー)である米(コメ)=カネのことだ。
「モノを溜めすぎると、禄(ロク)なことがない」とは、言い換えれば、
「モノを溜めすぎると、禄(ロク=カネ)が増えないばかりか、
逆に禄(ロク=カネ)が減ったり無くなったりする恐れがある」
とも言える。
具体的には:
①溜めたモノを保管するための場所コストの垂れ流し:
モノを保管するスペースの分だけ、家賃・不動産価格や維持管理費・固定資産税が増えるので、その分、禄(ロク)が減る。だから、禄(ロク)なことが無い。
②モノが増え続けるので、より大きい住まいへ住み替え続ける:
「引っ越し貧乏」プラス、①の「モノ保管コストの増大」。だから、禄(ロク)なことが無い。
③溜まったモノの後始末のコストを次世代に転嫁する:
「実家の片づけ」コスト ⇒ 子ども世代に転嫁される ⇒ 家系の没落。
家を空っぽにするために不用品回収業者を呼ぶと「1坪あたり10万円」という記事もある。床面積が50坪の一戸建ての場合「10万円x50坪」だから500万円かかる計算になる。安いんじゃないのかな?
もし家の片づけの労役を子どもに転嫁した場合は、もっと高くつくだろう。だって、子どもに500万円分のタダ働きをさせるだけでなく、子どもがその分の時間を活用して本業の仕事で稼げたりキャリアアップできたりする機会を、子どもの人生時間から奪ってしまうことになるからだ。多くの人が「他人の人生の時間というコスト」にあまりにも無頓着だ!と、私は常日頃思っている。子どもの人生時間コストも然りだ。いわゆる、子どもの人生の「機会損失コスト」である。子どもから奪った子どもの人生時間に見合う以上の遺産を残せるなら、まだマシだろうが、一時的なおカネは、宝くじと同じで、使えば無くなってしまうし、慣れない投資に手を出して失敗してスッカラカンになってしまうこともあり得る(子どもが証券アナリストなど投資のプロであれば話は別だろうが)。それよりも子どもが自力で継続的におカネを生み出せるように、子どもが仕事でスキルアップやキャリアアップできる機会を確保してあげるほうが、子どもが継続してキャッシュフローを得られる可能性が高くなる。一時的な大金よりも、年金のように継続的に得られるキャッシュフローのほうが、日々の生活にとって有難いのではなかろうか。
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先日から記事の冒頭に掲げはじめた、元禄の天才、井原西鶴翁が今から350年前に願われた「日本永代蔵(えいたいぐら)」の願いを、微力ながらというかほぼ無力なんですが私も受け継いでいきたい:
日本に永代(えいたい)に、永久(とわ)に、豊かさと繁栄に輝く蔵が、建ち並んでいますように。
そして、先日書いたように、「人生とは、片付け続けることである。」という言葉と、「死ぬことは、生きること。」という言葉が、確かな実感として心に浮かんだ。「死ぬことは、生きること。」を、姉妹ブログの標語にし、「人生とは、片付け続けることである。」を、本ブログの哲学とする。
人生とは、片付け続けることである。
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今日も、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。
モノについて
モ① もらったモノは、基本的に捨てる。
モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。
例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、
死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、
保有し続ける。
モ③ つまらないモノには、近寄らない。
ストレスについて
ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。
ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。
ス③ つまらない情報には、近寄らない。
このブログの目的は、還暦を目前に、
家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ
「シニアの実(み)の成るライフ」を追求することである。
アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、
健康で、無駄もなければ不足もない、
実(じつ)の有る暮らしを淡々と続けられる、
「シニアの実(み)の成るライフ」を目指していく。
家の中も、脳の中も、
溜めすぎるな!
だがカネは貯めろ!

笑い女 - Wikipedia
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